〝平成の怪物〟松坂大輔が引退決断

 西武・松坂大輔投手(40)が今季限りでの現役引退を決断したことが7日、関係者への取材で分かった。

 松坂は2020年、ソフトバンクから古巣・西武へ14年ぶりに復帰。だが、同年7月に首の痛みと右手のしびれがあるとして「脊椎内視鏡頸椎(けいつい)手術」を受け、その後は今季まで登板がなかった。

 1998年、横浜高3年時にエースとして甲子園を春夏連覇。「平成の怪物」のニックネームで一気にスターダムにのし上がった。同じ1980年世代には杉内俊哉、村田修一(ともに現巨人コーチ)、藤川球児(元阪神)、館山昌平(楽天コーチ)ら高レベルな選手が多く生まれ、のちに一斉にプロ入りしてからは〝松坂世代〟の呼び名が定着した。ただ、近年は引退する選手が相次ぎ、松坂を除いた残る現役はソフトバンク・和田毅だけとなった。

 日米通算170勝を挙げ、NPBでは最多勝3回、最優秀防御率2回、最多奪三振4回のタイトルを獲得。2006、09年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本の連覇に貢献して2大会連続で最優秀選手(MVP)に選出された。

西武・松坂大輔が今季限り引退 平成の怪物、WBC2大会連続MVP

けがに泣いた世代ナンバーワン左腕・杉内俊哉

 ソフトバンク時代の杉内俊哉
ソフトバンク時代の杉内俊哉

 時代を築いたサウスポーがユニホームを脱ぐ。巨人・杉内俊哉投手(37)が11日までに今季限りでの現役引退を決断したことが分かった。2002年のダイエー(現ソフトバンク)入団以来、中日・松坂らと並ぶ黄金世代の代表選手として球界をけん引。プロ17年間で142勝を積み上げた。しかし15年オフの股関節手術以降、今季まで3シーズンは公式戦登板なし。厳しいリハビリに耐えてきたが、背番号18のマウンド復帰の夢はついにかなわなかった。

 もう一度、光の当たるマウンドへ――。だが、非情な現実がそれを阻んだ。この日までに球団と慎重に話し合いを重ねてきた杉内だったが、苦渋の思いでユニホームを脱ぐ意思を固めた。

 ダイエー、ソフトバンクでは同世代の和田とのダブルエースでパ・リーグを席巻。05年には最多勝(18勝4敗)、最優秀防御率(2・11)の2冠に輝き、リーグMVPと沢村賞を獲得するなど、球界を代表する左腕として長らく君臨した。

引退杉内 今春キャンプで本紙記者が感じ取っていた“変化”

本塁打王2回、高校時代は松坂と投げ合った村田修一は栃木で引退

 横浜時代の村田修一
横浜時代の村田修一

 横浜(現DeNA)、巨人で活躍し、BCリーグ栃木所属の村田修一内野手(37)が9日、現役引退を正式表明した。

 男・村田が万感の男泣きで野球人生に幕を下ろした。群馬との今季最終戦(小山)の試合後に行われたファイナルセレモニー。村田はファンに向けて「今日をもって私は現役を…」と涙で言葉を詰まらせながら「引退します」と宣言した。

 同球場史上最多6025人超満員に膨れ上がったスタンドからは、すすり泣きが漏れ「(引退と)言わないでくれ!」「辞めないでくれ!!」などと悲痛な叫びも上がったが、村田の決心は揺るがなかった。

 最後も全力プレーで駆け抜けた。試合では4打席目に痛烈な中前打を放ち、5打数1安打。フルスイングを貫き、ファンはもちろん、栃木ナインも村田の勇姿を、その目に焼きつけた。

村田修一が引退を正式表明 涙流し「野球人生に悔いはありません」

藤川球児の引退試合には因縁の清原和博氏が登場!

 引退試合で矢野監督とハグする藤川
引退試合で矢野監督とハグする藤川

 今季限りで現役を終える阪神・藤川球児投手(40)の「引退セレモニー」が10日の巨人戦(甲子園)終了後行われた。

 親交あるリンドバーグの渡瀬マキによる中学時代の作文の朗読、引退記念のVTRが流された後、盛大な拍手の中、本人が登場。そして最強救援トリオ「JFK」の一員だったウィリアムス、久保田。米国からはダルビッシュ、同級生であるソフトバンク・和田、あの〝きん×ま発言〟で名勝負を演じた清原氏までメッセージ動画が流された。

阪神・藤川 引退セレモニーでファンと両親に感謝「名前を球児にしてくれてありがとう」