【魔法のムチ「武邦彦の真実」7】キタノカチドキ「最悪のダービー」恐怖で百恵どころではなかった

2016年08月12日 16時24分

【魔法のムチ「武邦彦の真実」7】キタノカチドキ「最悪のダービー」恐怖で百恵どころではなかった

【連載7:魔法のムチ「武邦彦の真実」】無敗で皐月賞に臨んだキタノカチドキはいつ“キレる”かわからない危険な性を抱えていた。そんな癖馬が日本初のシード馬に…。しかも悪いことに、厩務員春闘が重なった。

 皐月賞前には組合から厩務員さんたちに「働くな」という通達があったみたい。だから運動さえできないことが何日か続いた。

 そんな中で昭和49(1974)年5月3日、レースを迎えることになる。3週間遅れで東京競馬場での施行。当日は不安な気持ちでまたがったけど…体調は崩れていなかった。いい頃の状態だった。

 レースも先行したニシキエースがハイペースで引っ張ってくれたのが良かった。好位3番手と絶好の位置に付けられたんだ。状態さえ良ければ悪い癖は出さない。その自信はあった。だから直線もしっかり伸びてくれた。コーネルランサーに1馬身半差の完勝。レース後はやれやれ、という気持ち。でもすぐにダービーが迫っていた。

 5月26日。当日は売り出し中の山口百恵(注1)がプレゼンターとして東京競馬場に来ていた。でも、人気アイドルを気にかける余裕は全くなかった。僕は追い詰められていた。ストライキの影響が皐月賞後の馬の体調に出てしまったからだ。

 皐月賞に向かう際の調整が順調じゃなかった分激走の疲れが抜け切らず、立て直しに苦労していた。例年のスケジュールなら時間的余裕はあった。でもその年は皐月賞からダービーまで中2週。結局体調は完全には戻らなかったんだ。

 レース当日は明らかに馬体が緩んでいた。パドックでまたがった瞬間、体調が良くないことはすぐにわかった。「これはダメかもしれない」。再度シードされて、しかも枠順は外(23頭立ての19番)。まさに絶望的。ファンファーレが鳴る直前はそれまで味わったことのない心境だった。プレッシャーを通り越し、僕は恐怖を感じていた。しかも競馬では最も恐れていたことが現実となった。

 直線残り300メートル。トップスピードに入るその瞬間、カチドキは突如左(内)へ切れ込んだ。このままではラチへ激突する…。で、何とか修正しようと手綱を右へと引いた。でも今度は外へ大きく膨らんだ。

 それでもあきらめず体勢を立て直して前を行くコーネルランサー、インターグッドを追った。でも3着が精一杯だった。

「ストがなければ…」

 真っ白になった頭の中をこんな恨み言が駆け巡った。