【魔法のムチ「武邦彦の真実」4】「タケホープが勝つ」宣言!ハイセイコーの強さから弱点発見

2016年08月12日 16時27分

【連載4:魔法のムチ「武邦彦の真実」】昭和40年代後半までの競馬場といえば、ねじり鉢巻きをしたオッサンたちのたまり場。だから人気馬で負けた時には「金玉ぶち抜いたろか」「尻の毛抜くぞ」など強烈なやじが飛んできた。それが一頭の馬の出現ですべてが変わった。

 怪物ハイセイコー(注1)だよ。その人気はすさまじかった。「東京都ハイセイコー様」で郵便が届いたくらいだから、日本全国がハイセイコー一色だったね。

 このブームで女性も競馬場へ足を運ぶようになり競馬は市民権を獲得、ハイセイコーの走った昭和48(1973)年のダービーは東京競馬場が人であふれ返った。そんな怪物のダービーでのライバルがタケホープだった。

 日本全国が皐月賞に続く2冠制覇を期待していた。そんな中、僕はある雑誌のインタビューでこう答えたんだ。

「人気はハイセイコー。でも実力はタケホープ。能力的には勝ちますよ」

 というのは、前年のダービー(ロングエース)で東京競馬場に1か月近く滞在していた(注2)時、親交のあった稲葉幸夫厩舎の稽古をつける機会があった。その時タケホープにまたがったんだ。

「何て乗りやすい馬なんだ」。これが第一印象。すごくいいイメージだった。だから勝つと言い切れたし、実際タケホープは勝った。でも、まさかこの馬に自分が乗るとは夢にも思わなかった。

 秋に主戦の嶋田功さん(現調教師)が落馬負傷して、菊花賞前に僕に乗り替わり。ハイセイコーはダービーで初黒星(3着)を喫していたので、ファンは当然のように打倒タケホープを期待していた。日本中が再び沸いた。そんな中であのインタビュー記事がよみがえってきたよ。

「タケホープが勝つ」

 半年前とはいえ、あそこまで言ったんだから自分が乗って負けるわけにはいかん。「えらいこと言うてしもうたわ」。つくづく自分の発言を悔やんだね。

 一方で自信はあった。乗りやすいイメージを持っていたのが大きかった。だからそれまでの後方待機策から菊花賞では好位につけた。4コーナーまで理想的な競馬ができたので、あとはハイセイコーの弱点を突くだけだった。

 秘策はあった。あの馬の強さはほかが迫ってくれば歯を食いしばってもうひと伸びする根性。その強さを逆手に取った。直線であの馬に近づいて抜くとあかん。離れた外から一気に出し抜けを食らわす。強さから弱点を見つけ出した。それが成功した。

 内のハイセイコーとはかなり離れていたけど、ゴール板を過ぎた時には勝利を確信したよ。

 でも、検量室に戻った時にはがくぜんとした。着順を示すホワイトボードの1着の場所には、ハイセイコーの馬番(4)が書かれていたんだ…。

※注1=大井で全戦圧勝でV6を飾り、中央競馬に移籍した牡馬。野武士がエリートを打破するイメージが受け、競馬の枠を超えるアイドルホースになった。「東京都ハイセイコー様」の宛名で所属する鈴木勝太郎厩舎に手紙が届いた。移籍後も4連勝、「巨人、江川、ハイセイコー」と、当時の強者の代名詞だった。

※注2=トレセンができる以前の中央競馬は競馬場に厩舎が併設されていた。関西(東)馬が関東(西)に遠征する場合、親交のある地元の厩舎に長期滞在し、調整することは珍しくなかった。