地方競馬最多7152勝!的場文男が独占激白「決意の涙と次なる野望」

2018年08月14日 21時33分

入れ歯を外すおちゃめな面も

 競馬界のレジェンド・的場文男(61=大井競馬所属)がついに大偉業を達成した。12日の大井競馬第5レースで、通算7152勝をマーク。“鉄人”佐々木竹見元騎手の地方競馬最多勝利数を更新した。1973年のデビューから45年の歳月を費やした大記録だが、そこには勝利の数とともに激闘の跡が刻まれていた。本紙だけが見た不死鳥・的場文男の真の姿、男の勲章をじっくりご覧あれ!

 ――まずは日本記録おめでとうございます。振り返れば数々の大ケガに見舞われ、そのたびに乗り越えてきた

 的場:一番ひどかったのは内臓破裂です(2007年浦和)。返し馬の時にバババーンと蹴られてね。腎臓と脾臓が真っ二つに割れ、本当に死にそうになった。内出血でおなかが大きく膨らんで…。もうちょっと出血していたら危なかった。7時間の緊急手術で命は助かった。それから2~3日間も集中治療室にいました。

 ――もう騎手は無理か…と弱気にならなかったですか

 的場:全然、思わなかった。ケガは痛いだけで、つらくはない。ベッドの上で体中が管だらけでしたが「大丈夫! 早く治して復帰するんだ!」って気持ちでした。ただ、隣のベッドからうなり声とか聞こえてきて。とにかく集中治療室から早く出たかったですね。

 ――他に大ケガは

 的場:大井競馬場の4コーナー手前で落馬したときも大変でした(05年)。倒れ込んだところを、後ろから馬にガーン!って顔面を蹴られて…。骨はバラバラ、上の前歯は9本抜け、下アゴは複雑骨折。「ウチでは見きれない」って病院に見捨てられたけど、腕のいい歯医者を見つけてインプラントをして、結局(全治)2年かかりました。

 ――ケガも壮絶ですが、昔はヤジもすごかったと聞きますが…

 的場:そりゃあ、ひどかったよ(笑い)。本命馬で負けたときなんか、パドックで馬券の束が飛んできたし、ひどいときはおわんや湯飲みも投げつけられた。昔はまさにバクチって感じ。ヤバい客がたくさんいたよ。でも、仕事だからしょうがないって思っていたよ。

 ――その根性があったから偉大な記録を打ち立てられたのでは

 的場:そうですね。14歳で上京したときから根性は据わってましたよ。オヤジと兄貴が空港まで送ってくれて「一人前になるまで九州の土地を踏むな」と言われた。飛行機に乗ったとき涙が出ました。決意の涙ですよ。成功するか失敗するかは分からない。でも煮て食われようが、焼いて食われようが絶対に一人前の騎手になってやる!って覚悟を決めました。

 ――日本記録を打ち立てた今、次なる野望は

 的場:今までは目標があったから頑張れた。7000勝を達成した後は(佐々木)竹見さんの日本記録が目標だった。でもこれでもう目標がなくなりますからねぇ。年も61歳ですから。引き際も大事だと思うので…。

 ――的場さんなら80歳までやれると思います

 的場:バカなことを!(笑い)。まあ、竹見さんの記録を10、20くらい抜いて終わりってわけにはいかないから、100くらいは抜いてね。でも、80歳なんて乗れるわけないじゃない。今だって、よくここまで到達したなって不思議なくらい。14歳で飛行機に乗っているとき、こんな姿は夢にも思わなかった。

 ――堂々と自分を褒めていいと思います

 的場:ハッキリ言って、自慢になりますが…。60歳を超えてこれだけ乗って、こんなに勝っている人はいない! 世界を見ても異例ですよ。若いときによく頑張ったから、神様がご褒美をくれているんだと思います。

☆まとば・ふみお=1956年9月7日生まれ。福岡県出身。佐賀競馬の元騎手の兄・信弘さんの影響で騎手を目指し、中学3年で上京。当時、名騎手揃いの小暮厩舎に所属する。73年10月16日に大井でデビュー。同年11月6日に初勝利を挙げる。77年10月にはアラブ王冠賞で重賞初制覇。83年に年間129勝を挙げて初の大井競馬リーディングを獲得。97年6月に帝王賞を制してJpnI初制覇。99年12月8日に3000勝、2010年6月に6000勝、17年5月に7000勝を達成。勝負服は「赤・胴白星散らし」。