【安田記念】ツルマルボーイ 知られざる路線変更のきっかけ

2021年06月04日 20時00分

久々のマイル戦でGⅠ初制覇を決めたツルマルボーイ

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2004年安田記念】

 東京競馬場で走ったオグリキャップの全レースを僕はライブ観戦(それ以外の競馬場は全てテレビ観戦ですけど)しています。すでに同馬は〝歴史上の馬〟と化していますし、その発言だけでも年を取った証拠ですよね。キャリアだけを売りにする記者にはなりたくないと思っていますが、それに限りなく近づいている気がします(苦笑)。

 ちなみに最も衝撃的だったレースは初めて見たニュージーランドT4歳S(当時はダービーの翌週でした)で、最も興奮したレースは1989年の毎日王冠(イナリワンと叩き合い)。そして、最も感動したレースはジャパンカップです。ちなみに枠連は2―2で走破時計は2分22秒2。“2”尽くめで決着したクビ差2着は秋5戦目でマイルCSからの連闘でした。

 では、この安田記念は? それがあまり覚えていないんですよ。武豊騎手との初コンタクトで休み明け、時計も速くて…と押さえるべきポイントはいくつもあるんですけど、なんでなんでしょう? すごく天気が良かった記憶もあったんですが、成績を調べたら〝曇り〟になってる。本当に記憶がないんだな(苦笑)。なので、オグリキャップの話はここまで。天気の話が出たところで本題に入りましょうか。

 ツルマルボーイが勝った2004年の安田記念。過去の成績を再確認するまでもなく、この日の天候は雨でした。現地に行っていたわけでもないのに、どうして天気まで覚えているのかと言えば、安田記念の翌週に管理する橋口弘次郎調教師から「前日に用事があったし、東京駅のすぐ近くのホテルに泊まってたんだけどな。朝の8時ごろ、ホテルの窓を開けたら雨が降っていてな。〝これは勝負にならん〟と思ったから、もう東京競馬場には行かず、そのまま新幹線に乗ろうかと思ったよ」なんて、本気か冗談かもわからないような話をしてもらったからです。まあ、僕も道悪はダメと思っていましたし、さすがに厳しいと考えていたんですけど、本当に競馬はやってみないとわかりませんね…なんて返答した記憶があります。

 この安田記念はツルマルボーイにとって約2年半ぶりとなる久々のマイル戦で、古馬・オープンに昇級してからは初めて走る距離でした。その1年前には天皇賞・春(4着)を走っていたくらいでしたし、この距離を走るイメージなんて全く持っていなかったんですが、大阪杯(6着)が終わったあとくらいのタイミングだったかな?

「飛ぶ鳥を落とす勢いのアンカツ(安藤勝己騎手)に乗ってもらいたい…みたいな話がオーナーサイドから出ているんだけど、どこで乗ってもらったらいいんだろうか? 俺はヨコノリ(横山典弘騎手)で何の不満もないんだけどなあ」なんて雑談を数名の記者としているとき、どこかの社の誰かが「末脚が武器の馬なんだから、東京の安田記念でいいじゃないですか」と言い出したんだとか。安田記念? 距離が短くない? なんて思うところなんでしょうけど、橋口調教師は「確かに。東京はいいかもしれない」。

 その後の調整には諸々あったんでしょうけど、記者との雑談&進言が安田記念参戦のきっかけになったのは本当の話。そして、それを隠さずに話しているあたりが凄くないですか? これ、本人から聞いた話なんですから(苦笑)。

 橋口センセイは見た目と違い、短気で頑固な性格(すみません)でしたけど、その一方で人の意見に対して、とても柔軟な姿勢の方でした。それこそがセンセイを大センセイにした理由ではないか、と思っているほどです。そんなエピソードがあったことで、一見すると地味な2004年の安田記念が、オグリキャップのそれを超えるほどのインパクトを僕に与えているのです。

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