【桜花賞】ベガ「脚元がどうであろうが一生懸命にやらんと」名伯楽の〝信念〟と〝鉄則〟

2021年04月09日 20時31分

1993年の桜花賞を制したベガ

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1993年桜花賞】

 松田博資調教師から何度も聞かされました。

「現在の自分があるのはベガのおかげ」

 ネットをちょっと検索すれば出てくるフレーズですし、珍しい話でもなんでもありません。左前脚が内向していたベガを引き受け、結果を残したことで社台グループの信頼を勝ち得た。ベガが桜花賞を勝った1993年以降、松田博厩舎からは9頭のJRA・GⅠ馬が誕生していますが、同グループの生産馬でなかったのは1999年秋華賞を勝ったブゼンキャンドルのみです。

 引退間際ともなると管理馬の質が落ちるものですけど、松田博厩舎には最後まで重賞級の馬が在籍していました。これもオーナーからの信頼の厚さを示すものではないでしょうか。

「どんな馬主さんでも自分の馬に愛情を期待を持っている。それをこっち側で勝手に判断し、あきらめるようなことをしちゃダメさ。脚元がどうであろうが一生懸命にやらんと。それを教えてくれたのはベガやった。GⅠに勝ったとか、そういうことだけを見ていたわけじゃないと俺は思うけどな」(松田博調教師)

 相手関係などを考えることはせず、強いメンバーが揃うレースにぶつけてしまうことも少なくなかった松田博厩舎。それを指摘しても「相手を見てレースを変えるのは馬の都合やなくて人の都合やろ? 強けりゃ勝つし、弱ければ負ける。他の厩舎の馬のことを考えても仕方がないと思わんか。それよりも自分のところの馬をしっかりやらんと」と相手にしてもらえませんでしたね。僕の記憶では松田博調教師から「あの馬がおるからな」と相手関係に関するフレーズを引き出した馬はたったの1頭。もちろん、その馬とはディープインパクトです。

 さて、桜花賞当時の話をしましょう。ベガが桜花賞を制した1993年。僕は単なる競馬ファンの一人であり、ラップタイムなるものに興味を持ちだした時期でもありました。この年の桜花賞は前半の半マイルが47秒4、後半のそれが49秒8の前掲ラップ。ラスト2ハロンは12・1―13・4秒とゴール前の急坂を考えても、最後の1ハロンはかなりの落ち込みぶりと思いませんか? で、僕は〝ベガはスピード型で最後の失速は距離の壁を示すもの〟と推測しました。次のオークスは負けるかもしれない。でも、結果的にあのレースは距離の壁ではなく、ベガの心肺能力の高さを示すものだったんですよね。ハイペースを2番手で追走しながら、他の馬の追撃を寄せ付けなかった。そこにこそ注目すべきだったんです。見解としては全くの正反対でした。30年近くたっての反省です。

 なによりも松田博厩舎の馬は距離延長でこそ買わなくてはいけない。それこそが鉄則でした(苦笑)。これはトレセンに入ってから知るんですが、松田博調教師には「短距離は面白くない」という考えがあって、実際に短距離戦に出走してくることは少なかった。スプリントGⅠの出走はレッドチリペッパーが出走した1999年スプリンターズS(5着)の一度のみで、それに関しても「失敗した。オーナーの意向があったから使ったけど、使わなきゃよかった」と何度も言っていたほどですから、よほどでしょう。もちろん、距離延長を疑問視するような質問はご法度。「距離なんてものは調教次第でどうとでもなる。どんな馬でも長い距離が乗れるようにやっている」と一蹴されて終わりでした。もちろん、それはベガに関しても同じだったようで、桜花賞よりもオークスのほうがはるかに自信があったと聞きました。トレセンにいたのであれば、ガツンといくこともできたんですけど、それは後出しじゃんけんのようなものですね。

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