【フェブラリーS】大役果たすサクセスブロッケン 思い出されるヨネさんの“金言”

2021年02月15日 20時45分

2009年勝ち馬のサクセスブロッケンが今年のフェブラリーSで誘導馬を引退する

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2009年フェブラリーS】

 2009年のフェブラリーSなどGⅠを3勝したサクセスブロッケン。今週末のフェブラリーSを最後に誘導馬を引退するとの報道がありましたね。青鹿毛の非常に綺麗な馬。GⅠ馬らしい品を感じた一頭でした。

 JRAの公式SNSなどで当日の様子を映像で見ることはできるそうで、それを楽しみにするという手もあると思いますが、最後の雄姿を実際に見たいと思っていたファンの方も多いでしょう。生活に関わることでないかもしれませんが、コロナ禍の影響はこんなところにも…と思ってしまいます。

 2009年は僕が大阪スポーツの本紙予想の担当を開始した年。つまりは本紙担当として最初に迎えたGⅠがサクセスブロッケンの勝ったフェブラリーSです。話の流れから想像はつくと思いますが、このレースで僕は6番人気のサクセスブロッケンを◎に指名。当時の僕はイケイケだったので単勝2060円、馬単1万4070円にはまるで興味を示さず、3連単5万7720円のみをも見事に的中──。まあ、これも記憶に残った理由の一つではあるんですけど、金銭面以外のところにも理由はあるんです。

 このレースから1か月後くらいだったかな? 久しぶりに出社(僕は1年のほとんどを栗東トレセン、ないしは競馬場勤務で過ごしているため、大阪の堺市にある大スポ編集局に出社することはほぼないんです)した僕に、大スポ本紙の前任者である米原聡先輩が「おお、ちょっと茶でも飲みに行こうや」と。会社の最上階にあるバルコニーへと拉致されました(笑い)。

「おお、この前のフェブラリーSは見事やったやないか。なんかエエ話でも聞いとったんか」とタートルネックの上からジャケットを羽織った“似顔絵通り”のヨネさんがこんな感じで切り出してきたんですよね。まあ、この時代の記者は穴馬券=エエ話が前提になっていましたし、調教開始直後からコースに背を向けているような記者もいた時代。驚くような前フリでもなかったんですけど。

「でも、アレやな。これでオマエも肩の荷が下りたっちゅうか、最初にイイのをガツンと当てとくとやな。周囲の目も変わるっちゅうか、本紙としてやりやすくなるはずや。まあ、言うても会社の看板を背負って名前を出しとるわけやから、それなりの結果がないとやっぱりアカンし、せやけど結果ばかりを気にすると予想もおかしくなるしな。ええ予想をするちゅうんはなかなか難しいもんや」

 語尾は少し脚色してますが、こんなニュアンスだったと思います。で、それを聞かされた僕は「ヨネさん、そんなこと気にしていたんだ…」と(爆笑)。全レースの予想原稿を書かなくてはいけないとか、人よりも少し多めの行数になるくらいにしか思っていなかったんですが、本紙予想とはプレッシャーを感じながらするものであり、会社の看板であるという認識を持ってするもの。本紙としての“心構え”というべきものですかね。それが前任者の責務であるかのように僕に伝えてくれたわけです。真面目な話、ありがたいお言葉でした。

 コロナ禍でトレセンに来る回数(それでも毎週のようにトレセン内に入れる僕は恵まれた立場でもあります)が減り、予想も馬券への熱量も少し冷めかけていた状況で聞いたサクセスブロッケンの誘導馬引退。それがサインとまでは考えていませんが、今週末は久しぶりに攻めてみようかな、と。まあ、東京のGⅠなので見出しになるのは舘林さんの◎なんですが(苦笑)。

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