【朝日杯FS】クラシック断念が悔やまれるアドマイヤコジーン 見たかった盟友との頂上決戦

2020年12月20日 05時45分

3連勝で頂点に立ったアドマイヤコジーン(JRA提供)

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1998年朝日杯3歳S】

 アドマイヤコジーンと言えば、後藤浩輝騎手で勝った2002年安田記念でしょう。感動的なレースでした。この馬のハイライトだったと思います。では、この馬のGⅠ初制覇となった1998年朝日杯3歳Sはどんなレースだったのか? 騎乗していたのはマイケル・ロバーツ騎手で2着に競り落としたのはエイシンキャメロン。乗っていたのは武豊騎手でした。着差はクビ。最後は2頭の追い比べでしたね。朝日杯を勝てない謎のジンクスはこのあたりから始まったのかな? なんて思ったりもします。

 芦毛で輪郭がぼやけて見えるためか、あまり見栄えのしないイメージを持っていた馬。それほどの馬格があったわけでもなかったですし、3番人気だったデビュー戦も2着に負けているんですけど、僕自身は早い段階から意識していた馬でしたね。

 と、言っても調教の動きとかで見い出していたわけではなく本当に偶然というか、ちょっとした〝出来事〟から存在を知った馬でした。

 この世代の橋田満厩舎は手駒が豊富でした。その代表は日本ダービーを勝ったアドマイヤベガ。この馬こそがアドマイヤコジーンを意識し始めたきっかけです。調教コースの閉門間際で追い切る馬が少なくなる時間帯。僕は調教師席のある2階に下り、松田博資調教師との雑談を当時の日課(本当にいろいろなことを教えていただきました)にしていたんですが、あるとき、橋田調教師から「松田さん、ベガの子がいくよ」と声がかかったんです。

 ベガは松田博厩舎の屋台骨を支えた…いや、この厩舎の未来を変えたと言っても過言でない馬でアドマイヤベガはその初子。動向は気にしていましたから、「どれどれ」と坂路モニターの前へ。僕もそれに追随したんです。1本目か、2本目の追い切りで時計もそこまで速くなかった。それでもスムーズに坂路を上がってきたアドマイヤベガの姿を見て、「これが来年のダービー馬じゃないか」と感じちゃったんですよね。

 本当にきれいな、サンデーサイレンス産駒らしいフットワーク。そこで橋田調教師に「相当な馬ですよね?」と話を振ってみたんです。しかし、それとは真逆の予想もしない答えが。「そう? 他にも走りそうな馬がいると僕は思っているけど」。その馬こそがアドマイヤコジーンだったんですよ。

 この時点まではそこまで注目していなかった。でも、この言葉を聞いて「え? そんなにすごい馬なの?」。折り返しの新馬戦(当時の新馬戦は同じ開催内であれば1走限定ではありませんした)に重賞初挑戦の東スポ杯3歳S、そしてGⅠの朝日杯3歳S。そのすべてを1番人気で通過していく姿を見て「本当にそのままになった」。その衝撃が現在も残っているんですよね。もちろん、それが2頭の純粋な能力を比較したものでなく、当時の完成度を示した発言だったかもしれません。

 アドマイヤベガも素晴らしい能力を持っていた馬でしたから。しかし、仮にアドマイヤコジーンが戦線離脱をせず、クラシックを走っていた場合、その結果はどうなっていたのか? 距離の壁に泣いていたのか、それとも歴史を変えていたのか──。もしかしたら、皐月賞は勝てたかもしれない。「タラ、レバは禁物」が競馬の常識。でも、そんなことを考えさせてくれる馬だったと思うのです。