元天才ジョッキー・田原成貴が沈黙破り「栄光と転落」すべて明かした

2020年12月17日 05時10分

栄光と転落のすべてを激白した田原成貴

 伝説の男が今よみがえる――。昭和後半から平成初期に競馬界を席巻した天才ジョッキー・田原成貴(61)が長い沈黙を破り、本紙の独占インタビューに応じた。華麗な手綱さばきと常識を覆す騎乗、その破天荒な言動で強烈なインパクトを残したが、21世紀初頭にこつぜんと姿を消した。その後、田原はどんな人生を歩んできたのか。覚醒剤取締法違反による逮捕の裏には何があったのか。栄光と転落のすべてを激白し、生まれ変わった“ニュー田原”を初公開した。

 ――なぜ今、取材を受ける気になったのか

 田原成貴:最近、よく周りの人に「みんな心配してるよ」って言われていてね。そんな時に東スポさんから話を頂いた。だから、今回の取材のテーマは「ドゥ・ユー・リメンバー?」。皆さん、僕を覚えていますか? 元気でやっていますよ! 心配してくれた方へ感謝の気持ちを伝えたくて、今回は出ることにしました。

 ――語りたくない過去もあると思いますが

 田原:いや、気を使って質問しないのだけはやめてほしい。聞かれたことには全部答える。いいも悪いも全て自分がやったことだからね。ただし、暴露みたいなのは嫌だ。自分以外のことで墓場まで持っていかなきゃならないこともあるからね。

 ――なぜ覚醒剤に手を出したのか

 田原:騎手を引退し、調教師になってから歯車が狂っていった。騎手時代は問題が起きても真摯に馬に乗っていれば良かったが、生き方がヘタで、白黒はっきりつけないと気が済まない性格の俺は調教師になってからはそれができなかった。調教師として生きていく上ではグレーでもクロでも受け入れないといけない。でも俺には無理だった。理想と現実がかい離していき、その虚無感を埋めるために越えてはいけない線を越えてしまった。

 ――その後も2回、同じ過ちを犯した

 田原:競馬界にいた時に解決できなかった問題を思い出すと心が痛んだ。自分を捨て、破滅したいと思うようになった。そうしないと申し訳が立たないと思った。思うだけじゃなく実際にそういう行動を取った。一度越えてしまうと、あとは際限がなくなってしまった。恐ろしいことに、ダメになっていく自分を俯瞰しながら楽しむようになった。気がついたら遮断機が下りて出れなくなった。

 ――壮絶な苦しみだったのですね

 田原:でもこんなふうに言うと調教師の時の逮捕も、辞めてからの逮捕も言い訳がましくなっちゃう。ひきょうだよね。要はバカだったんですよ。面白がってやってたんですよ。クスリやるヤツなんてやってる時はそんなもんですよ。苦しいことや理不尽なことなんて誰にでもある。クスリやって、それを言い訳にしちゃいけない。依存症は病気っていわれるけど、バカ言うな。最初の1回をやるから依存症になるんだって。だからクスリでパクられるのは誰のせいでもなく全部自分の責任。自分が悪い!

 ――でも、そこからよく立ち直れましたね

 田原:立ち直ったのかね(笑い)。まあ分からないけど、もう悪さはしていない。育ててくれた谷八郎先生(元JRA調教師)には親不孝しっぱなし。わびてもわびきれない。それに迷惑かけた家内や娘や息子、(柳田)三千男や田原厩舎のスタッフのことを思うといつも心が痛む。だからこそ、今度こそちゃんと生きますよ。

 ――39歳で騎手を引退した理由は

 田原:ケガもいっぱいして、自分の理想とするきれいな乗り方ができなくなったから辞めたんだ。美しい乗り方にはこだわっていたから。しがみつけば、あと5、6年はできたと思う。でも俺はそういうのは嫌だった。例えば今の騎手は最新のトレーニングをしてるらしいけど、俺はそんなことしてまで勝つのは面倒くさいし、カッコ良くないって思っていた。

 ――マヤノトップガンとナリタブライアンの名勝負(96年阪神大賞典)の話を聞きたい

 田原:これは今の若い競馬ファンでも知っているかな。みんな伝説のマッチレースとかいって今でも取り上げてくれるけど、僕にとっては消したい過去なんだ。ほんの少し、ひと呼吸だけ仕掛けが早かったんだ。ひと呼吸待てば勝っていた。ふた呼吸待てばクビ差で勝っていたよ。あのレースは覚醒剤より後悔しているね(笑い)。

 ――96年スプリンターズS、ゴール前でフラワーパークの頭を押し込んだ“神騎乗”も有名だ

 田原:あれは押したんじゃなく、逆に引いているの。ギューッて引いてパッと離したら、反動で戻るでしょ? 直径10センチのテニスボールをギューッと握って離すと10・1センチになる。フラワーパークの最後の1ミリは、引いたことによって出た1ミリ。馬は押しちゃダメなんですよ。今の騎手は押してばっかりだからダメ。押す力の倍、引けばいいんですよ。

 ――さすがです。ぜひ、来週の有馬記念の予想を

 田原:まあ実際、有馬は3回勝っているからね。お任せください!

【馬の才能を開花させた男の今】取材当日、田原はスーツ姿で東京駅に現れた。「よろしくお願いします」。深々と頭を下げた。現役時代と変わらぬ体形。競馬界の玉三郎と言われた端麗な顔立ちは健在だが、その目は新たな決意に燃えていた。

 田原は現在、経営難に陥ったレジャーホテルや飲食店の再生、開業支援などを行う辣腕コンサルタントでアートプロデューサーの飯島由加里氏に師事。かつて数々の馬の才能を開花させた男は今、ビジネス界で事業再生の一役を担っている。「50歳にして初めて社会を知った。学ぶことばかりでね」。身にまとったスーツは飯島氏からの贈り物。「まっとうに生きる」という約束の証しだ。

 仕事で配る名刺には肩書や社名はおろか、連絡先すら書かれていない。白地に「田原成貴」とだけ。「お互いここから始めましょう」。そんな意味を込め、巡り合った相手と真摯に向き合う。不器用なほど一直線に生きてきた男。第2の人生は今、ゲートが開いたばかりだ。

☆たばら・せいき=1959年1月15日生まれ。島根県出身。78年に谷八郎厩舎所属騎手としてデビュー。同年28勝で関西新人賞、翌79年に64勝を挙げて関西リーディングジョッキーに輝き天才騎手と呼ばれる。93年12月の有馬記念でトウカイテイオー騎乗で優勝。GI通算15勝。98年2月に騎手引退、調教師に転身。2001年10月に覚醒剤取締法違反で逮捕され調教師免許剥奪。09年10月、10年9月にも同容疑で逮捕。懲役2年2月の実刑判決で服役。13年5月に刑期を終えた。