【アルゼンチン共和国杯】いったい何を信じればいいの?1998年ユーセイトップラン

2020年11月07日 19時00分

豪快な追い込みで大波乱の立役者になったユーセイトップラン

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1998年アルゼンチン共和国杯】

 コロナ禍の影響でトレセンの取材規制は現在も継続中。この流れは今後も続くでしょうし、タレントの方々を筆頭とした〝レギュラー〟でない取材者がトレセンに入ってくるチャンスは訪れないかもしれません。それと同時に東西の交流も無くなってしまいましたね。海外競馬通として知られるK南記者などとの会話は、他の記者とのそれでは得られない有益なものだったのですが…。もちろん、いつの間にやら20年来の付き合いになってしまったU海記者と会えなくなってしまったのも寂しいことです。コロナの影響は小さくないですよ、本当に。

 もっとも、我が東スポグループに関して言えば、10年近くも前から関東=美浦、関西=栗東の取材スタイルを取っていて、美浦を主場とする記者が遠征してくることがほぼなくなっています。以前は東スポ記者が栗東に2週間の滞在なんてスタイルも多く、迎い入れる立場の僕らとも交流したんですけどねえ。

 思い出すのは1998年のアルゼンチン共和国杯。厳密には同じ週に行われる菊花賞のためですが、この週に栗東へ取材に来ていたのが東スポの山村隆司記者。ひと通りの取材を終えた金曜日の朝、僕とスタンド前で話をしていたんですね。暇つぶしのために〝ダベッていた〟との表現のほうが正解かもしれませんけど。そんな僕らのところに一人の調教師がやって来て、こう言ったんですよ。

「明日のユーセイトップラン。DW(当時は栗東トレセンのDコースはウッドでした)でとんでもない時計が出た。むちゃくちゃいいかもしれん。人気もないし、おもしろいかもしれんぞ」

 現在でこそ、トレセンイチの音無シンパと揶揄される僕ですが、当時はそこまで深い仲ではありません。強気な性格なのか、それとも慎重派なのかさえも知りません。なにより、そのユーセイトップランではなく、併せ馬だったグリーンプレゼンスのほうが動きが良く見えました。一応、当時はDWコースを担当していましたので。

「それよ。正直、ユーセイトップランは状態がいい。すごくいい。でも、グリーンプレゼンスはそれよりも走る。前走で惨敗しているから相手にされてないけど、あれは若葉S以来の休み明け。もしかしたら、とんでもない化け物かもしれんな」

 話半分で聞いていた僕とは違い、山村先輩は購買意欲をそそられたんでしょう。それも相当のレベルで。1番人気濃厚だったグラスワンダーの上昇度がそこまでなく、それ以外の人気馬も信用できるレベルでなかった。レース当日は休日も重なり山村先輩の希望で三重県・亀山までうなぎを食べに行ったんですが、先輩は食事の席を中座してアルゼンチン共和国杯の馬券を電話投票にて購入してました。

 そういう馬が飛んで来ちゃう。それも先輩のよく知る河野厩舎のエーピーランドを連れて。馬連が4万1270円という大波乱の決着でしたが、それが嘘のような強さ。駆使した上がり3ハロン33秒8は出走馬最速で、レースの上がりを1秒2も上回る秀逸な数字だったんです。

 この結果に山村先輩は「俺、来週は会社にいないかもしれない」と言い残し、意気揚々と京都競馬場に旅立っていきました。

 そして迎えた翌日の菊花賞。先輩が1年に渡って追い続けたキングヘイローとユーセイトップラン以上に走る(はずの)グリーンプレゼンスとの馬連に数万円。それ以外にも単勝やら、複勝やらをバンバンと購入してました。一体、何千万にする予定だったのでしょう? でも、それもスタートしてすぐに夢と消えます。グリーンプレゼンスは17頭立ての17番手。それも離れた最後方でした。最初のコーナーを回ったときの「もう無理やん!」のレース運びでした(笑)。

 ちなみにグリーンプレゼンスの上がり3ハロン34秒4はスペシャルウィークに次ぐ上がり2位タイ。離れた後方から10着でしたけど、とてつもない追い込みでした。それは間違いありません。