智将・中村均元調教師が語る京都競馬場惜別の50年「不思議なパワー与えてくれたモチの木の存在」

2020年11月02日 11時30分

大規模改装工事のため1日の開催をもって京都競馬場は約2年5か月の“長期休養”に入った

【智将・中村均 競馬戦国絵巻番外編】数多くの名勝負を生んできた京都競馬場(京都市伏見区)が、1日の開催を最後に大規模な改装工事に入り、2023年3月まで競馬開催が休止となる。多くのファン、関係者が惜別の念に包まれる中で、この淀の競馬場をこよなく愛した中村均元調教師が「競馬戦国絵巻」番外編で心に刻んでいた思い出を語ってくれた。

 コントレイルとデアリングタクトという無敗の3冠馬を誕生させたばかりの京都競馬場が、11月1日をもって“去りました”。去るといっても消滅するわけではなく、メインスタンドの改築を目玉とした大規模なリニューアル工事のため2023年3月まで休止期間に入ったということです。

 馬場の中に美しい池があり、向正面には長く続く堤防が見え、馬場の芝と相まって景観は緑一色。そこにカラフルな勝負服を身にまとった騎手を乗せ、サラブレッドが疾走する――。言葉で言い表せないファンタスティックな競馬場、それが京都競馬場です。昔から日本一あるいは東洋一美しい競馬場と言われてきたゆえんでしょう。そんなビューティフルな京都にしばらくお目にかかれないと思うと、実に寂しい気持ちです。

 日本では珍しい円形のパドックも、工事後には楕円形に変わるということですが、個人的に思い入れが深いのはパドックの真ん中に立ったモチの木です。勝負事を前にこの木を見ると不思議と心が落ち着く“癒やしの木”でした。

 この木は以前、別の場所にあったパドックからそのまま植え替えられたものなのですが、移植が難しかったようで、植え替えた間もなくのころは緑の葉が色薄れ、枯れ始めていました。当時、私は自分の管理馬がパドックに現れる前に、先に行ってよく木に語りかけたものです。「頑張れ、ファンも応援しているよ」と。全員ではないでしょうが、ファンの中にも気にかけていた方がいたと思います。その後、1年、2年と日がたつにつれて立ち直り、葉の緑が色濃くなり、幹が輝き始めました。それを見た時、管理馬が病気から立ち直った時と同じように、うれしさが心の中から込み上げてきたのです。

 京都のパドックに行くと、馬を見るのはもちろんですが、勝負を前にして、時にざわついてしまう心を落ち着かせてくれるモチの木に必ず「いつもありがとう」と感謝していました。

 今回の改修でパドックはゴール側の方へ70メートル移動するとか。モチの木は年老いてきたので、今度の移植に耐えられるかどうか心配だったのですが、JRA関係者に聞いたところ、大変難しいと言っていました。次のパドックでその姿は見られないかもしれないと思うと、実に寂しいです。

 京都といえば、12年に管理馬ビートブラックが勝った天皇賞・春も思い出深いですね。2周目の向正面でもう1頭の逃げ馬と2頭で後続を50メートル以上離しての大逃げ。ゴールまであと1000メートル地点でビートはスパートし始めました。大逃げで、しかも、その地点で追い始めるのは本来なら“邪道”です。あっけにとられていたのですが、残り3ハロン地点で一緒に逃げていた馬を振り切り、後続との差は3秒以上。これでは、単勝1・3倍のオルフェーヴルも追いつくはずがない。この時点で勝利を確信した私は、思わず立ち上がり、大声を上げ、腕を振り回し応援しました。14番人気のビートが勝った! 私のあまりの興奮ぶりに、隣の席にいた大先輩の内藤繁春元調教師がレース後、「おめでとう」と言った後、「思わず殴られると思った」とニッコリ笑っておられたのも今となってはご愛嬌でしょうか。

 1987年10月、トウカイローマンが京都大賞典を勝った時、表彰台に上がった私の隣には、初重賞を飾った当時18歳の武豊君が並びました。そして我々優勝者2人の胸に、紅白のリボンをつけてくれたコンパニオンの女性が、のちに私の妻となりました。私は39歳まで独身を続けていたのですが、とうとう終止符を打つことになったのです。今の京都競馬場がくしくも2人を結び付けた仲人ということになります。

 競馬の世界に足を踏み入れて50年という時の中で、京都競馬場は非常に思い出深き場所であり、夢と感動を与えてくれた存在です。心より感謝するとともに、時代を先行する「NEW京都競馬場」として再びよみがえることを、今から楽しみに待ちたいと思います。