【藤沢和雄厩舎で名馬を育てた元厩務員が引退馬の養老を目的とした牧場をオープン(3)】

2020年08月28日 06時00分

芦毛馬は繁殖引退後に処分予定だったが、縁あって牧場に(提供・川越靖幸氏)

 現役を引退した競走馬に関しては、日本調教師会・関東本部が積極的な引退馬支援活動を目的としたウェルフェア委員会を立ち上げたり、栗東の角居勝彦調教師が主催者の代表理事を務めるサンクスホースプラネット(旧プロジェクト)の活動など近年注目が高まっている。競走馬の未来について、これから必要なことは―。
〈構成・立川敬太〉

 ――川越さんのような引退馬の牧場を経営する側だけでなく、競走馬の厩舎関係者や生産牧場、競馬ファン、または引退馬を引き取って預けたい人など、どのような形での関わりが引退馬にとって理想の環境だと思いますか

 川越 以前はよく、去った馬の後は追わないのが美学のように言われていましたし、競馬の世界で引退した馬の話はタブー的な側面もありました。でも、実際に現役の厩務員さんでも馬を引き取って預託していたり、自分で世話をしている方も出てきました。競馬関係者の間で引退した馬について堂々と話せるようになるのが、理想の環境づくりにおいて大切だと思います。生産牧場については、経営面を考えると繁殖牝馬を亡くなるまで養ったり、生産馬を引き取るのは難しいとは思いますが、少しでも関心を持ってくださる方が増えてくるとまた変わってくると思いますし、実際変わりつつあるとも感じます。競馬ファンの方々には、一生懸命走る馬たちのその後について知ってもらうことが重要ですね。そこから自分ができる引退馬支援をしていこうという方も現れるかもしれません。そういう時にどこに預けようかという悩みがなくなるような施設や牧場が増えていってほしい。

 ――JRAの役割も重要になる

 川越 JRAには引退競走馬に関する検討委員会というのができて、これまで養老牧場等をしてきた団体、施設に補助金が出されていますが、今回のコロナではないですけど、個人の方も経済状況が変わると馬の面倒を見続けるのが困難になってしまいます。そういう意味でも、個人で馬を預託したり養ったりされている方に助成がなされると、馬たちの命も脅かされずに済むかもしれません。馬の管理についての講習会を開くとか、引退馬のモデル牧場を造って〝このような管理が理想です〟というような活動もJRAにはしてほしいですね。法律上難しいのかもしれないですけど、馬券の売り上げの一部を引退馬に回すとか、引退馬支援レースを実施するなど、馬にお金が回り、ファンにもアピールできるような形も考えてほしいです。

 ――現在の日本の競馬について

 川越(主にトレセンで)昔に比べて一頭の馬に密接に関わる時間が少なくなりました。時期が来たらすぐにいなくなりますから。それは馬ではなく人間の都合、タイミングで。馬は絶対に時間をかければ良くなります。その馬の持っている能力で、すべての馬が勝てるわけではないですけど、その馬なりに絶対に良くなります。ただ人間が決めたスパンでしか馬を扱えないから、良くなり切れない馬が多いように感じます。大器晩成という言葉は競馬の世界ではなくなるのでは。そのあたりが残念に思います。

 ――新冠出身。魅力と牧場をこの地に選んだ理由は

 川越 やっぱり自分が生まれ育った土地だし、そこに恩返しもできたらと思います。何よりも知らない土地ではないということ。水と魚がおいしいな。水道から出る水がおいしいですよ。あと内陸に入っていくとバーッと牧場の風景が広がっているのもいいですね。幼いころからの見慣れた光景を目にすると安心します。馬もいますし。馬が多いというのが好きです。たくさん馬の姿が見られるというのは、自分にとって良い光景です。

 ――牧場オープンにあたって最も苦労したことは

 川越 それは毎日ですね。実際牧場で作業をしてみて、これまでは牧場の苦労を知らずに厩務員としてお金を稼いでいたんだということを実感しました。前述したように柵の補修にもお金がかかる、重機も必要、伸びてきた牧草を掃除刈り(※1)しなければならない、採草地があれば草を刈り取り、かくはんして乾かして牧草ロールを作る。牧草刈りからロール作りまですべて重機がなければできません。ウチで借りた牧場も5年空いていたので、その間管理を兼ねて毎年酪農家と生産牧場の方が来て、牧草刈りをしていて、今年それを一部始終見させていただきましたが、本当に手間暇かかる大変な作業だと思いました。牧場を始める前の想像以上に、資金も労力もかかります。
(あすに続く)

※1…そうじがり。放牧草地において、徒長した牧草や採食されない雑草などを刈り払う作業。

※かわごえ・やすゆき
 1965年2月3日生まれ、北海道新冠町出身。新冠中学校卒業。小柄だったので競馬好きの父に勧められて騎手を志し、当時馬事公苑での騎手過程を受験するも不合格。その後、騎手を目指して明和牧場(当時ハイセイコーが種牡馬としてけい養)に就職したが、骨太で体調管理が難しいと判断して騎手を諦める。明和牧場で3年半務めてJRA競馬学校厩務員過程に入学。卒業後は久保田敏夫厩舎から中村貢厩舎。中村調教師の死去に伴う解散により藤沢和雄厩舎に所属した。

 主な担当馬はゼンノロブロイ、ゼンノエルシド、マチカネキンノホシ、ウインラディウス、フライングアップルなど。ゼンノロブロイで英GⅠインターナショナルSに遠征した際、ベストターンドアウト賞を海外のGⅠレースでは日本人として初めて受賞。最後に所属した二本柳俊一厩舎でキリシマノホシと出会う。11年3月に退職。その後はグルーミング(馬の手入れ)インストラクターとして、グルーミング教室や個別グルーミング、出張グルーミング等で活躍した。