養老牧場を開いた元GIホース厩務員「人の都合で生涯を終えていく馬を一頭でも少なくできればいい」

2020年08月27日 06時00分

かけがえのない存在になったキリシマノホシと(提供・川越靖幸氏)

 キリシマノホシにはたくさんの思い入れがある――。8月中旬、北海道新冠町に引退馬の養老を目的とした牧場がオープンした。代表を務めるのはゼンノロブロイ(天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念=いずれも04年)、ゼンノエルシド(01年マイルCS)といった名門・藤沢和雄厩舎の黄金期に活躍したGⅠホースを担当したJRA元厩務員の川越靖幸氏(55)。退職後は競馬の世界を離れて馬のグルーミング(手入れ)インストラクターとして活躍したが、このたび生まれ故郷である新冠で牧場を開く決意を固めた。そこに至る思いは何だったのか? 華やかな競馬の世界から離れた場所で見えたものは一体…。様々な角度から現実に迫る。〈構成・立川敬太〉

 ――キリシマノホシからは多くを学んだ

 川越 キリシマノホシは茨城に在住時代は美浦トレセン近郊の育成施設内にある乗馬クラブに間借りさせてもらっていたのですが、その時はウオーキングマシンで運動をしてカイバにも気をつけていました。それでも、さく癖(※1)があることもあり、疝痛になったことがあります。それが北海道に来て1か月あまり、放牧地が思うように使えないため狭いパドックでの数時間の放牧のみでしたが、静かでゆったりした環境がいいのか体調を崩さないのは、やはりストレスがかからないからだと思いました。

 ――競走馬との違いを感じた

 川越 キリシマノホシを引き取って、現役の競走馬時代には見られなかった表情を見られることに気づきました。現役時の競走馬だけを見て、その馬をすべて分かったと思うのは大間違い。この馬にはこんな一面があったんだと。競走馬はあの環境(トレセンなど)にいる限り、戦場にいるようなものだと思いました。引き取った時からこれまでの変化を見られるのは素晴らしいこと。こんな馬になるんだと。今ではアブが自分で取れない場所に止まった時、止まっている場所をこちらに向けて〝アブを払って〟と頼んできたりしますからね。人の都合で生涯を終えていく馬を一頭でも少なくできればいいですよね。以前の自分は知ったかぶりだったですが、それを正しい道へと導いてくれたのがキリシマノホシでした。今牧場を始めて、一からホースマンとしての道を歩み始めたと思っています。

 ――JRAの厩務員として数多くの有力馬を担当して、いつごろから競走馬の引退後について考えるように

 川越 厩務員時代には競走馬の引退後について一切考えたことはありませんでした。真剣に向き合ってはいけない問題だと、どこかで思っていたのかもしれません。きっかけは、種牡馬になった馬がこの世にいないらしいと知ったことですね。

 ――馬を養うにはお金がかかります。現状ではどのような牧場経営を行っていこうと

 川越 新冠に来て1か月ほどになりますが、馬だけではなく、施設の維持管理にお金がかかることが今さらながら分かりました。特に5年も使っていない牧場を新たに整備したので、使おうと思っていた放牧地が、柵が壊れていたりしてすぐに使えない。柵の周りに草がボーボーに伸びていて、それを刈ってみて初めて壊れているのが分かった箇所がいくつもあります。柵を新たに巻き直すには莫大なお金がかかるし、部分的に補修するにも人力だけではできない部分もありそうだということで、クラウドファンディングや寄付なども考えていますが、資金調達は悩みの種ですね。

 ――馬の飼養の部分では経験が生きる

 川越 長年、馬のプロとして競走馬の世話をしてきたこともあり、きめ細かなチェック、世話ができます。競走馬は少しのケガや病気の兆候を見逃したのが原因で、目標としたレースに出走させられなくなるケースもあるのでどんなささいなことも見逃さないように管理してきました。引退馬ですので競走馬ほど神経質になる必要もないのでしょうけど、グルーミングでいろいろな施設を回った際、初期対応がうまくできなかったため慢性化しているケガ、疾患もたびたび見かけました。最初の対応がきちんとできていれば、後々獣医代が高くつくこともない。将来的に預託料は他の牧場よりも高めに設定(整備期間中は特別料金)する予定ですが、きめの細かさ、この程度なら獣医を呼ばなくても大丈夫、この症状は獣医を呼んだほうがいいと見極めができること。そういった対処がトータルで考えた時にオーナーに余計な負担をかけずに済むのではないかと考えています。

 ――グルーミングはやはり重要

 川越 グルーミングのプロとして活動して、手入れをさせていただくたびに馬が本当に美しくなったと喜んでいただきました。お預かりした馬たちには定期的にしっかりとグルーミングをさせていただき、なるべくきれいな状態を保つようにしていきたい。グルーミングは馬と人のコミュニケーションツールでもありますし、全身をくまなくチェックするので、そこでも異常を発見できるメリットがあります。(続く)

※1…馬の有害な癖のひとつで、上歯を馬栓棒や壁板などにあて、それを支点にし空気を呑み込む。グイッポとも呼ばれる。

☆かわごえ・やすゆきー1965年2月3日生まれ、北海道新冠町出身。新冠中学校卒業。小柄だったので競馬好きの父に勧められて騎手を志し、当時馬事公苑での騎手過程を受験するも不合格。その後、騎手を目指して明和牧場(当時ハイセイコーが種牡馬としてけい養)に就職したが、骨太で体調管理が難しいと判断して騎手を諦める。明和牧場で3年半務めてJRA競馬学校厩務員過程に入学。卒業後は久保田敏夫厩舎から中村貢厩舎。中村調教師の死去に伴う解散により藤沢和雄厩舎に所属した。

 主な担当馬はゼンノロブロイ、ゼンノエルシド、マチカネキンノホシ、ウインラディウス、フライングアップルなど。ゼンノロブロイで英GⅠインターナショナルSに遠征した際、ベストターンドアウト賞を海外のGⅠレースでは日本人として初めて受賞。最後に所属した二本柳俊一厩舎でキリシマノホシと出会う。11年3月に退職。その後はグルーミング(馬の手入れ)インストラクターとして、グルーミング教室や個別グルーミング、出張グルーミング等で活躍した。