「夢に出てきた馬は、もうこの世にいなかった」元GIホース厩務員が引退馬の養老牧場を開いた理由

2020年08月26日 06時00分

オープンした牧場・ノーザンレイクを背に立つ川越氏(本人提供)

 8月中旬、北海道新冠町に引退馬の養老を目的とした牧場がオープンした。代表を務めるのはゼンノロブロイ(天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念=いずれも04年)、ゼンノエルシド(01年マイルCS)といった名門・藤沢和雄厩舎の黄金期に活躍したGⅠホースを担当したJRA元厩務員の川越靖幸氏(55)。退職後は競馬の世界を離れて馬のグルーミング(手入れ)インストラクターとして活躍したが、このたび生まれ故郷である新冠で牧場を開く決意を固めた。近年は競馬サークル全体の問題として、引退後の競走馬に対する積極的な支援活動への注目が高まっている。社会的意義、経済的な難しさ、そして何より馬に対する愛情について語った。
〈構成・立川敬太〉

 ――牧場をオープンした理由を教えてください

 川越靖幸氏(以下、川越)まずは自分がかつてJRAの厩務員として担当していた馬の末路を知ったことです。その馬がある日、色あせた姿で夢に出てきたんです。その馬は種牡馬を引退して用途変更になっていたのですが、気になったので北海道の友人に探ってもらうとすでにこの世にいないらしいことがわかりました。重賞を3つも勝ってくれた馬でもいなくなる。競走馬としてどんなに走っても、種馬(たねうま)として結果の出ない馬は処分される。そういう事実があることは薄々分かっていましたが…。厩務員を辞めずに続けていたら、こうまで心は動きませんでした。

 ――厩務員の仕事を離れ、競馬の世界とは一定の距離を置いた

 川越 グルーミングの仕事をしていた時に、一般のOLや主婦の人たちが仕事やアルバイトをして馬を養う費用に充てている事実を知ったんです。厩務員時代の僕は馬が走るたびにお金が入る。勝てばうれしいし、ぜいたくもできる。馬からたくさんの恩恵を受けてきたのに、馬の引退後のことまで考えなかったし、ましてや引退した馬たちにお金を使ったこともなかった。多くの競馬関係者がそうだと思います。でも、主婦の人たちらは馬から何の見返りもないのにお金を使っている。それはある意味、衝撃でした。競馬関係者のようにインタビューをされたりしてマスコミに取り上げられることもないですよね。僕もそうでしたけど、競馬関係者は取材されたらきれい事を並べますから(苦笑)。引退した馬を引き取っている人たちに〝なぜ人のためにたくさんお金を稼いできた馬が引退しても何もしないのか?〟と問われたら言葉に詰まると思います。僕も未熟な人間だから、今さらながら恥ずかしい気持ちになりました。

 ――運命的な出会いもあった

 川越 最後にいた厩舎で担当していたキリシマノホシを引き取りました。九州産のキリシマノホシは、関西から転厩してきて僕が担当したのは3歳初めから夏の終わりくらいまでの短い間。JRA未勝利のまま園田競馬に移籍して、10歳まで地方と合わせて188戦走り続けました。何となく気にはなっていたものの、かつての担当馬の末路を知った後だったので、もし生きていたら引き取りたいと思い、さまざまな人が協力して探してくれて畜産業者の牧場にいることが分かり買い取りました。彼女が当時、私が住む茨城にやってきたのは17年1月の半ば。用心深く、人に簡単に心を許すタイプではありませんでしたが、時間をかけて信頼関係を築いていくうち、どんどん変わっていきました。現役時代は420キロ前後だった馬体重が、草中心のカイバで今は500キロ近くに。キリシマも常にこちらを観察していますし、人間の言葉を理解しているなと思うことがたびたびあります。茨城に在住のころは馬場でよく鬼ごっこみたいにして一緒に走って遊びました。キリシマとともに出演したドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる(※1)」でも馬と遊ぶシーンが出てきますが、馬とこんなふうに遊べるんだと驚いた方もいたようです。縁あってキリシマノホシをお世話させてもらっているのだから、牧草が生えた広い放牧地で走らせてやりたい、もっといい環境の中で過ごさせてやりたい。以前に牧場で生産と育成に携わり、さらにトレセンでの厩務員の経験を通して、北海道での牧場の環境が理想だと思いました。
(あすに続く)

※1…19年に公開した引退競走馬の現状にスポットを当てたドキュメンタリー映画。その後も全国での上映が続いており、今月15日には門真国際映画祭で大阪府知事賞を受賞した。

※かわごえ・やすゆき
 1965年2月3日生まれ、北海道新冠町出身。新冠中学校卒業。小柄だったので競馬好きの父に勧められて騎手を志し、当時馬事公苑での騎手過程を受験するも不合格。その後、騎手を目指して明和牧場(当時ハイセイコーが種牡馬としてけい養)に就職したが、骨太で体調管理が難しいと判断して騎手を諦める。明和牧場で3年半務めてJRA競馬学校厩務員過程に入学。卒業後は久保田敏夫厩舎から中村貢厩舎。中村調教師の死去に伴う解散により藤沢和雄厩舎に所属した。

 主な担当馬はゼンノロブロイ、ゼンノエルシド、マチカネキンノホシ、ウインラディウス、フライングアップルなど。ゼンノロブロイで英GⅠインターナショナルSに遠征した際、ベストターンドアウト賞を海外のGⅠレースでは日本人として初めて受賞。最後に所属した二本柳俊一厩舎でキリシマノホシと出会う。11年3月に退職。その後はグルーミング(馬の手入れ)インストラクターとして、グルーミング教室や個別グルーミング、出張グルーミング等で活躍した。