【思い出のGIホース】2001年ジャパンカップダート(現チャンピオンズC)覇者クロフネ 7馬身差圧勝の背景

2019年11月25日 21時35分

ジャパンカップダートを7馬身圧勝のクロフネ(右)

 自身に芝のGI勝利があるだけでなく、産駒にも芝のGI勝ち馬、重賞勝ち馬が多数のクロフネ。それでも同馬のイメージを問われれば「ダート」と答える声が大半だろう。

 では、クロフネ=ダートのイメージを決定づけたものとは何か? そのきっかけを作ったレースが9馬身差で圧勝した武蔵野Sとすれば、そのきっかけを作ったのはクロフネ陣営ではなく、クロフネをはじき出す形で天皇賞・秋に出走したアグネスデジタル。この馬こそがダートの名馬クロフネを誕生させたのではないだろうか。

 当時、天皇賞・秋に出走できる外国産馬は2頭に限定されていた。1頭は宝塚記念の勝ち馬であり、GIの2着が5回もあったメイショウドトウで決まり。もう一つの枠をクロフネは狙っていたのだが、南部杯を勝利したアグネスデジタルが出走を表明したことで、クロフネの天皇賞・秋への出走はかなわなくなってしまったのだ。

「いまでも忘れないんだけどな。あのとき、勝己さん(ノーザンファーム代表・吉田勝己氏)に電話でこう言われたんだ。“先生、本当にアグネスデジタルを天皇賞に使うの?”って。クロフネを出走させたかったのは知っていたけど、ウチの馬も狙っていたレースだったからさ。“悪いけど、使わせてもらいます”と。結果的にはウインウインで終わったから良かったけど、これは下手な競馬はできないと思ったもんだよ」とはアグネスデジタルを管理していた白井調教師。

 その後、アグネスデジタルは天皇賞(秋)→香港カップ→フェブラリーSを連勝して“オールラウンダー”としての地位を確固たるものとした。

 一方、クロフネはジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)も7馬身差で楽勝し、歴史に名を残す存在となった。同師の言葉を借りれば、競馬史に残る「ウインウイン」の選択と言えるかもしれない。

 翌春にはドバイ遠征も予定していたクロフネだが、故障により2001年の年末に引退を発表する。仮にクロフネがドバイワールドカップに出走していればどうなっていたのだろうか? 勝ったストリートクライの前を走ることができていたのだろうか?

 ちなみに02年のドバイワールドカップに出走した日本馬はクロフネの未来を変えたアグネスデジタル。結果はストリートクライから大きく離された6着だった。

(大阪スポーツ本紙担当・松浪大樹)