【今週ラストウイーク小島太調教師独占告白=前編】我が騎乗3大ベストレース

2018年02月22日 22時02分

88年日本ダービーをサクラチヨノオーで制した小島太

 惜別の時が来た。1966年にJRAから騎手デビュー。97年からは厩舎を開業して辣腕を振るった小島太調教師(70=美浦トレセン)が2月いっぱいで定年引退となる。競馬は今週末がラストウイーク。ジョッキーとして、またトレーナーとして数々のGIを手中にし、多くの競馬ファンに愛された男は半世紀余の競馬人生を終える今、何を思うのか!?

 日本ダービー2勝(78年サクラショウリ、88年サクラチヨノオー)を筆頭に重賞84勝。大舞台で無類の勝負強さを発揮した騎手時代は、その派手な言動込みで熱狂的なファンを集め、同時に同等数のアンチも生んだ。

「やはりジョッキー時代が最高だったさ。子供のころからの夢を実現できたんだからね。仕事と思ったことはないから、つらいと感じたこともない。今、思えばむちゃな減量もしたけど、当時はなんてことなかった」

 一方で調教師時代を振り返る際は「最悪だったな。(プレッシャーで)目方は騎手の時より減ってしまったくらい」とトーンが一変する。

「俺の気性だからジョッキー時代は半分“てんぐ”になっても突っ走っていけたさ。でも調教師はあくまで裏方。生産、育成、調教とすべてのプロセスに関わって多くの人間とコミュニケーションを取らないといけない。すべてに苦労を感じたし、つらかった。騎手としてレースを勝った時は体中から喜びがほとばしったけど、調教師としては責任を果たせた安堵感のほうが大きかったよ」

 その言葉だけを聞くと“第2の人生”は惨たんたるものが想起されるが、実績は騎手時代(JRA通算1024勝)に勝るとも劣らない。

 GI・5勝を含めてJRA重賞24勝。JRA通算475勝(18日終了現在)は、騎手として1000勝以上を挙げた調教師の中では野平祐二氏(調教師=402勝)を押さえて歴代トップだ。

「勝ち星はまだまだ若い河内(洋)くんや松永(幹夫)くんにすぐ抜かれるさ。それでも改めて思い返すと、多くのオープン馬を育てて重賞もたくさん勝ったんだよな」

 キャリアハイの年間40勝を挙げた02、04年、さらに06年(37勝)は優秀調教師賞を受賞している。むしろ成功者の部類ながら、当人の達成感が低い理由はホースマンとして目指した理想が高かったからにほかならない。

「騎手時代から憧れたのはエプソムダービーにケンタッキーダービー。もちろん凱旋門賞も。今でも万全の状態だったらサクラローレル(前哨戦の97年GIIIフォワ賞8着→引退)もマンハッタンカフェ(02年13着→引退)も好勝負になったと信じている。タフな精神面、欧州の芝向きの走法、それにジョッキーの意思通りにレースを進められる操作性…。本当に両馬とも条件は兼ね備えていた」

 自由奔放な騎手時代、そして質実な調教師時代。対極的な2つの人物像を結ぶカギは当人の口からもしばしば聞かれる「ホースマン」というワードだ。生産界やマスコミも含めたすべての競馬関係者を意味するこの言葉は、本紙で連載された自伝(ホースマン 夢追えば楽しい日々=13年)のタイトルにも用いられている。「オレらの仕事は何より馬が好きでなければできない。そして“夢”を持っていなければ続けられない」

 有名無名を問わず騎手としてまたがった馬の“ネタ”が尽きることはない。「大レースを勝った馬も勝てなかった馬もそれぞれに思い出がある」のは当然のことだ。あえて選んでもらった“ベストレース”はホースマン視線からの充足感が基準となっている。

 ベスト3のうち“全盛期”からのセレクトはサクラチヨノオーの日本ダービーだけ。「コクサイトリプルとメジロアルダンと3頭が並んでの叩き合い。力のある馬同士が差され、差し返して最後は自分の執念が勝った。子供のころに映像で見たレースも含めて、歴代でナンバーワンの素晴らしいレースだったと思う」

 他は騎手としての引退を翌春に控えた95年秋。ジョッキーとしてひとつの境地に達した中での2回のGI制覇はホースマンとしても満足のいく仕事だった。

「外枠不利が定説の府中の2000メートル。最内枠が当たった時点で勝てる予感がした」。サクラチトセオーが直線で大外一気を決めた天皇賞・秋だ。道中は後方16番手。「見ている方はあんな後方から届くか不安だったかもしれない。ただ、早めに抜け出すと味がなくなる馬だったから。むしろ“まだ早い、まだ早い”と自分に言い聞かせながら追い出しを待ったほど。乗り方がブレることはなかったし、自信はあった」

 そして騎手としては最後のGI制覇となったエリザベス女王杯のサクラキャンドル。10番人気の伏兵だったが「自分が100%の騎乗をすれば負ける気はしなかった。ちょうどその1年くらい前から競馬が面白くなってきてね。自分のミスで負けてカッカするようなこともなくなったし、レースが“見える”ようになったんだ。キャンドルの時も冷静でいられたし、自分でもうまかったと思う。ただ会得した時が辞める時だった。正直、辞めたくなかったよね」。

 チトセオーとキャンドル…2歳違いの兄妹にとって同レースが最初で最後のGI制覇だった。ステッキを置く前に最高の騎乗で勲章をプレゼントできたことが両レースを特別なものにしている。
 では、「最悪だった」という調教師時代はどうだったのか。

☆こじま・ふとし=1947年4月11日、北海道小清水町生まれ。66年に騎手免許を取得し、JRA通算8474戦1024勝(重賞は84勝)。96年2月に騎手を引退。同年に調教師免許を取得し、翌年3月に厩舎を開業。JRA通算5683戦475勝(重賞は24勝=18日終了現在)。