中央への道を切り開いたパイオニア

2013年01月31日 16時00分

1991年、オグリキャップ引退式でアンカツとの名コンビが復活した

 地方の笠松競馬からJRAへ移籍して一時代を築いた安藤勝己(52=栗東・フリー)が30日、引退を表明した。地方から中央への道を切り開いたパイオニア。JRA・GⅠ22勝、地方・中央ダブル1000勝など大きな足跡を残した仕事人は惜しまれながらターフを去ることになった。


 今年の騎乗はゼロ。昨年11月24日の京阪杯(パドトロワ=15着)を最後に、レースから遠ざかっていた名手は、2013年度の騎手免許の更新手続き(15~17日)を行っていないことが判明。現在の騎手免許の期限は2月28日までで、事実上の引退が決定した。

 76年に東海公営の笠松でデビューし、03年にJRA移籍。その後も6年連続年間100勝など活躍を続けてきたが、体力面の衰えもあり09年から騎乗数をセーブ。昨夏以降は体調の調整が難しくなり、騎乗数は激減していた(12年は153戦14勝)。

 野茂英雄が日本→メジャーへの道を切り開いた先駆者なら、競馬の世界では安藤がその役割を務めた。笠松時代は怪物・オグリキャップの主戦として有名。95年の4歳牝馬特別をライデンリーダーで勝ったころから中央移籍への道を決意。JRA騎手試験では01年に不合格だったが、翌02年に見事合格した。

 以後の活躍は周知の通り。中央デビューの03年3月には早くも高松宮記念(ビリーヴ)でGⅠ初制覇。翌04年はキングカメハメハでダービー制覇。07年は武豊と並ぶJRA・GⅠ年間6勝の大記録をマークした。

「年間何勝とか、勝ち鞍を意識することはない。自分が意識しているのは昔から“GⅠを勝ちたい”ということ」と当時、コメントした。

 騎乗技術は抜き出ていたが、素顔は気さくなオッサン。酒豪で面倒見が良く、騎手仲間からの人望は厚かった。同騎手の功績は大きく、小牧太、岩田康誠、内田博幸など多くの地方出身騎手があとに続いた。2013年新規騎手試験のトライ中の地方ナンバーワン騎手・戸崎圭太(大井)もその一人。多くのファン、関係者の記憶に残った大ベテランは静かにムチを置く。

 安藤勝己騎手のコメント=「体重の調整うんぬんじゃなくて、思うような騎乗ができなくなったので引退を決意した。正式な会見をする前に報道が出る形になってしまったが、今はスッキリした気持ちです」