【魔法のムチ「武邦彦の真実」13】オグリキャップ1990年「有馬記念」豊が一度だけ助けを求めてきた

2016年08月12日 16時18分

【連載13:魔法のムチ「武邦彦の真実」】新しい時代がやってきた。若者が押しかけ、女性の声援が聞こえる…昔なら考えられなかった華やかな競馬場だ。そんな節目に騎手デビューしたのが三男・豊。でも、ヤツはこの世に存在しなかったかもしれないんだ。

 というのは、嫁さんが考えていた最初の名前は豊彦。僕の邦彦から1文字取ったらしいけど、何かしっくりこなくてね。彦は要らないんじゃないのって。あの時僕が反対してなければ豊じゃなく、豊彦。タケトヨヒコ…先入観もあるんだろうけど、3000勝もするジョッキーの名前か、というとね(笑い)。

 豊が小さい頃、僕は栗東トレセンの武田作十郎先生の厩舎内に住んでいた。部屋の隣に競走馬がいる環境の中で豊は育った。だから騎手を目指すというのは自然の成り行きだったんだろうね。ただ、騎手になりたいという相談は僕は受けなかった。ずっと嫁さんに言っていたみたいだね。まあ4人の息子の中で1人くらいはジョッキーになってもええか。そんな気持ちだった。

 豊が恵まれていたのはデビューした時代が良かったこと。古い競馬から世の中に開放された娯楽の競馬へ変わっていたからね。しかも世の中はバブル。競馬への関心も高くなる中、騎手に対する注目度も大きくなっていた。そんな時代背景に加えて幸運だったのはいい人との出会いだよ。

 まず見習い時代に浅見さん(国一元調教師)にかわいがってもらったのが大きい。浅見さんは戦前からジョッキーとして活躍して、僕もバリアー時代にスタートの駆け引きを徹底的に教えられた。

 大正生まれで表面的には厳しいけど、中身はすごく優しい。浅見先生の指導で豊は基礎を叩き込まれた。特にレースの駆け引きとインを突くスタイル。騎手としての下地が出来上がった。豊も僕も同じ人から競馬の本質を学んだんだ。

 もう1人は伊藤修司先生。豊がデビューした頃は栗東で一、二を争う大厩舎。その大御所が彼を認めてくれた。それによって周りの競馬関係者もジョッキーとして信頼するようになった。新しい時代背景と、重鎮との出会い。この2つがかみ合ったのが大きかった。

 普段、ヤツとはそれほど話はしない。ディープインパクトの時だって「今回のレースはどうなんや?」って聞いても本人は「うん」とか「ああ」とかしか言わない。あまり競馬のことは話さない。ただ、一度だけ豊が僕に助けを求めてきた時があった。平成2(1990)年の有馬記念だ。

 豊が乗るオグリキャップは早めに美浦へ移動して調整をしていた。でも直前の追い切りで力がある併せ馬の相手がいなかった。ということでウチの厩舎で有馬記念に登録していたオースミシャダイをパートナーに、って頼んできたんだ。だからオグリと豊のために美浦へ急行した。あの併せ馬でオグリに気合が乗ったんじゃないのかな。伝説の復活劇に僕もひと役買ったということ。

 ちなみに当時、僕は調教師6年目で、厩舎開業4年目。で、オースミシャダイとともに開業当初から活躍してくれた馬がもう一頭いる。それがバンブーメモリー。あの馬は本当、天に愛されたサラブレッドだった。