【魔法のムチ「武邦彦の真実」11】テンポイントと世紀の一戦——負けたがなぜかすがすがしい

2016年08月12日 16時20分

【連載11:魔法のムチ「武邦彦の真実」】昭和52(1977)年有馬記念。今年も相手はテンポイント一頭——。そう心に決めてレースへ挑んだ。ただし、馬場入りした時に不安が頭をよぎった。

 当日は良発表とはいえ、芝がかなり荒れていた。トウショウボーイは超が付くスピード馬だったが、唯一の弱点があった。それは道悪。当時は今以上に開催後半になると芝の傷みが激しかったけど、この年もひどかった。ボコボコ状態のタフな馬場。僕は不安を抱えてゲートへ向かった。

 でも、天下分け目の大勝負、テンポイントの鹿戸明君(現調教師)もレース前には葛藤があったのかもしれないね。

 鹿戸明調教師「前の年負けていたので何としても勝ちたかった。しかも有馬記念でトウショウボーイは引退する。雪辱のラストチャンスだったしね。でもレース直前まで迷っていた。相手はトウショウボーイだけでいいのか? ほかにもグリーングラス、プレストウコウという実力馬が出ていたから…。でも輪乗りの際にほかの騎手が言ってくれた。“明、お前の馬とトウショウボーイの力が抜けている。2頭の戦いだよ”。それで腹をくくった。あの馬だけをマークしていこう。そう決断した」

 運命のゲートが開いた。トウショウボーイはいつものように抜群のスタートを切ってくれた。最初のコーナーで馬なりで自然にハナに立った。ただ、いつものような力強さは伝わってこなかった。馬場が荒れていた分、走りが空回りしている感じ。内ラチから7〜8メートルあたりまでは特に傷んでいた。だから道中は何とか馬場のいいところを選んで走らせることだけに集中した。テンポイント? とりあえず前半は自分のことで精一杯だった。


 鹿戸明調教師「あの時はとにかくスタートからトウショウボーイに食らい付いていくことだけを考えていた。最後の直線ではあの馬の前に出る形で勝負したかったので道中は離れず、ピッタリくっついていった。それにマイペースで走らせないように少し前へ出たり、後ろへ下がったりした」

 騎手は感覚的に横に他馬が並んだ時、手応えの違いを判断できる。あの有馬記念では4角で勝負が決まった。僕は3角手前から徐々にペースを上げテンポイントも一緒に上がってきた。で、4角で馬体が重なった瞬間、観念した。「今日は負けたな」

 鹿戸明調教師「2頭とも並外れた根性の持ち主だった。相手よりハナでも前へ出れば、抜かせない。そんな闘志をお互いに持っていた。だから直線先に前へ出た方が勝ちと思っていた。イメージ通り、前へ出られた。あとは必死に追った」

 勝負は何が起きるかわからない。最後までトウショウボーイに気合をつけ追い続けたけど、結果は3/4馬身差の2着。それにしても3着グリーングラスがあそこまで迫っていた(半馬身差)とは…後でビデオを見てビックリしたよ。それくらいテンポイントとの勝負に意識を集中していたんだ。

 レース後はすがすがしかった。負けても悔いは全くなかった。あんな感覚は初めてだった。