【魔法のムチ「武邦彦の真実」10】天馬トウショウボーイの宿敵——マークするのはテンポイント一頭

2016年08月12日 16時21分

【連載10:魔法のムチ「武邦彦の真実」】トウショウボーイは良馬場なら日本で負ける相手はいないと思っていた。“天馬”の称号はダテじゃなかった。仮にディープインパクトと同じレースで走ったとしても、ハナ差抑えて勝つ——。それくらい超の付くスピード馬だった。

 昭和51(1976)年の有馬記念(9戦6勝で出走=1番人気)は朝から快晴。トウショウボーイにとっては絶好の馬場コンディションだった。これなら大丈夫。ある程度自信を持ってレースへ挑んだ。でも、そこに宿敵がいた。パドックでまじまじと見ると、テンポイントもかつてとは別馬のようだった。

 実は僕はこのテンポイントと、トウショウボーイより半年以上も早く“出会って”いた。同じ年の5月。主戦の鹿戸明君(現調教師)が落馬で骨折して急きょダービーでの手綱を任された。先にも後にも鹿戸君以外でテンポイントに騎乗したのは僕だけだった。2番人気に支持されたけど、馬体がガレていて体調は良くなかった。結果は7着。それでもバランスのいい走りが印象に残った。

 ダービー当時に比べると毛色も筋肉の付き方もまるで違っていた。明らかに立ち直っていた。

 テンポイントがライバル。これを肝に銘じてレースは直線入り口で先頭、テンポイントの追撃を退けてレコードで勝利を飾った。

 やはり良馬場なら日本一。この勝利でさらに自信を深めた。ちなみに稽古でもあの馬は日本一だった。といっても追い切りにまたがるのが日本一怖い、という意味で…。歩様がガタガタで、サスペンションのない車に乗っている感覚。宝塚記念(1977年)の前の追い切りに乗った時もフットワークはゴトゴト。しかも追った後、脚を痛がった。これはマズい。パンクした。でも厩務員さんは「大丈夫、大丈夫。骨瘤が出ただけ。すぐに治るんだ」。

 実際、宝塚記念では何事もなかったように快勝。休養明けにもかかわらず、テンポイントを3/4馬身抑えた。あのレースは6頭立てだったけど結構いいメンバーが揃っていたね。テンポイントのほかにも、グリーングラス、クライムカイザー…。ちなみに出走はしてなかったけど、1つ下の世代には怪物マルゼンスキーがいた。今、思えばすごい馬がゴロゴロいた時代だった。

 で、いよいよあの瞬間を迎えた。昭和52(1977)年の有馬記念。このグランプリを最後にトウショウボーイの引退が決まっていた。ただ僕は知らされていなかったのか、知らなかったのか記憶にないんだけど、最後のレースだという意識はなかった。

 パドックでは次の年に海外遠征を控えていたテンポイントへの声援がすごかった。しかも体つきを見て仰天した。前年の有馬記念よりさらに幅が出て、見違えるほどに成長していた。

 今年もマークするのはテンポイント一頭——。こう決断してゲートに向かった。