【魔法のムチ「武邦彦の真実」9】トウショウボーイとの出会い——どんな馬にも負けないだろう…

2016年08月12日 16時22分

【連載9:魔法のムチ「武邦彦の真実」】人と人、馬と人、馬と馬。なぜかわからないけど引き寄せられるようにして、同じ時代に強い者が固まる時がある。

 エルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィーク。ウオッカ、ダイワスカーレット。仮に生まれた時代が違っていれば、それぞれがもっと多くのGⅠを勝っていたんだろう。でもライバルがいたからこそ、お互いが切磋琢磨していける。テンポイントとトウショウボーイ(1973年生まれ)も生まれた時から運命の糸でつながっていたんだろうね。

 僕がトウショウボーイに騎乗することになったのは昭和51(1976)年の有馬記念だった。(福永)洋一がエリモジョージに乗るため、僕に出番が回ってきた。

 洋一とは10歳離れた先輩と後輩の関係。どちらかというと僕が彼を誘ってよく遊びに行った。特にマージャンは毎日のようにやった。日迫良一(元)調教師のお宅で卓を囲むことが多かったんだけど、そこに遊びに来ていたのが有美子さん。後に洋一の奥さんになる人だった。日迫先生のめいっ子さんで、あの時、僕がマージャンに連れて行ってなきゃ祐一も生まれてなかったんじゃないかな(笑い)。

 それにしても洋一はマージャンも、競馬も大胆かつ、繊細だった。印象的なのはニホンピロムーテーの菊花賞(71年)。2周目2コーナーで早々と先頭に立った。当時の常識では考えられない騎乗だった。スローと読み切ったとはいえ、1番人気馬をハナに立たせたのは驚きだった。ただアイツの中では緻密な計算があって、その上での判断だったんだろうね。

 関西では洋一と僕がリーディングで上位にいたこともあって、彼からの乗り替わりはよくあった。皐月賞馬ハードバージ(注)もそんな一頭だった。

 洋一がホリタエンジェルに乗るために昭和52(1977)年のダービーでは僕が騎乗することに。1番人気に支持されたんだけど、あの時は下手に乗ってラッキールーラに勝利をさらわれてしまった(アタマ差2着)。レース後、厩務員さんの悔し涙を見た時には申し訳なくて…僕も思わず泣いてしまった。騎手人生で涙を流したのはあの時だけだった。

 トウショウボーイも洋一からの乗り替わり。すごい馬だと聞いていたけど、初めてまたがった時の感触は今でも覚えている。

 でっかい体なのにおとなしく、賢かった。何より乗りやすかった。しかもそのスピードは10年先を走っている感覚、とにかくすさまじかった。良馬場ならどんな馬にも負けない自信があった。ただしひとつだけ弱点があった。爪が大きく、道悪がダメだった。それが後のレースで大きく響いてくるんだけど…。

※注=1977年の皐月賞で8番人気の低評価を覆して勝利を飾った。当時“天才”の異名を取っていた福永洋一がインを切り裂く伝説の好騎乗でVへ導いた。

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