【エリザベス女王杯】3冠牝馬アパパネの野望を砕いたスノーフェアリーの衝撃

2020年11月14日 20時00分

3冠馬アパパネを完封したスノーフェアリーは翌年のエリザベス女王杯も制し、連覇を達成した

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2010年エリザベス女王杯】京都競馬場ではなく、阪神競馬場での開催になってしまう今年のエリザベス女王杯。阪神に恨みや妬みがあるわけではないけれど、京都競馬場の近隣に居を構えて二十数年の僕にとって、京都はホームコースと言える競馬場でして、多くのレースを見てきただけでなく、早めに入厩してきた関東馬、ならびに海外からの遠征馬の取材をしてきたところでもあります。

 ドバイに向けた検疫取材なんてのもあったな。アドマイヤオーラ(2008年)が時計を出すかもしれない…なんて話になり、松田博資調教師の依頼を受けて来たんですよね。懐かしい。原稿にもしていないと思うので、誰も知らないのでは? そこにいた記者は僕だけでしたからね。

 日刊紙、専門紙を問わず、この手の取材を京都競馬場にした方はそれなりにいるでしょうが、その数が最も多い記者は僕でしょう。それもダントツで。僕こそが京都競馬取材の〝ヌシ〟なんですよ(笑)。長期の休養明けでデブデブだったセイウンスカイ(2001年天皇賞・春)、GWの渋滞にハマってしまい、ヨタヨタの状態で馬運車から降りてくるスクリーンヒーロー(2009年天皇賞・春)を見たのも京都競馬場。ここには思い出がたくさん詰まっているのですが、関東馬の直前取材よりも興味をそそられたのは海外からの遠征馬かな。「お国柄」なのかもしれないですけど、こちらの予測していない、もしくは予測を超える変わった動きをする馬もいるんですよ。

 例えば、2005年の天皇賞(春)に遠征してきたオーストラリアのマカイビーディーヴァ。メルボルンカップ3連覇の偉業を果たした名牝です。ご存じの方も多いですよね? どれほどの馬なのかと僕も興味津々で競馬場に足を運びましたよ。もちろん、一度きりではありません。何度もです。なのに、はっきりと覚えているのは彼女がゲート裏の芝生を必死に食べている姿のみ。どんなレースをしたのかも覚えていない(笑)。

 一応、陣営には「馬をリラックスさせる作業の一貫」と説明されましたけど、1800メートルのスタートになるポケットの部分で無心に草を食べる名牝の姿はあまりに強烈でしたね。「あんなところの芝を食べて疝痛(せんつう=腹痛)とかを起こさないのかね」と一緒にいた記者にポツリ。それが理由ではないでしょうけど、2番人気の名牝は7着に負けてしまっています。

「いいレースをすれば、JCに招待してもらえるだろうし、そのあとは香港に行けるかもしれない」と大きな野望を抱いて来日した2003年のタイガーテイル。10番人気で3着に好走したことでJC出走が決まり、JCでも14番人気6着と一定の結果を出したことで、もくろみ通りに香港カップへと行きましたが、お世辞にも〝いい馬〟と思えなかった。個人的には予想を覆す活躍した馬の代表です。なぜ、走ったのかが現在でもわからない。ガチガチの身のこなしだったんです。

 逆に見た瞬間からダントツの雰囲気を醸し出していたのが2010年のスノーフェアリー。この馬は別格でした。来日前の段階ですでに英・愛オークスを勝っていたんですが、かなりの安価でも買い手が付かなかった馬という情報のせいか、そこまでの評価は受けてなかったんですよね。3冠馬アパパネのいた年ということもあり、実は僕もそれほど期待していませんでしたね。でも、入ってきた瞬間からちょっと違うんです。外国馬は日本馬よりも前の硬いタイプが多く、この馬も柔らかいとは思わなかったんですが、走り出すとキャンターレベルでも素軽く見えちゃう。僕は休日にこっそりと見に行き、その日の取材担当は明神先輩だったんですけど、これは「とんでもないものを見たな」と。その後に何度か競馬場に足を運び、陣営がメディアに対してそこまで強気でなかったことにほくそ笑んでましたね。4番人気で8・5倍。外国馬の取材で最も還元を受けたレースだったかもしれません。

 京都競馬場は検量室につながるエレベーターが馬主席の奥にあり、レース後などは出走馬のオーナーと乗り合わせてしまったり、1階に降りるタイミングが重なってしまうことも。この日は4馬身差の2着だったメイショウベルーガの関係者の方々と一緒になったのですが、「あんなに強い馬がいるんなら、早く教えてほしかったわ」とおっしゃっていたオーナーの言葉が現在も耳に残っているんですよ。このレースの3着は同年の3冠牝馬アパパネ。スノーフェアリーさえいなければ、記憶にも記録にも残るGⅠ制覇を果たしていたのですから、それも当然ですよね。