〝キックの鬼〟の異名を取った元キックボクサーの沢村忠(本名・白羽秀樹)さんが3月26日に肺がんのため死去したことが分かった。78歳だった。

 沢村さんは剛柔流空手の経験を生かして1966年4月、新たに旗揚げした日本キックボクシング協会の大会に参戦した。名門・目黒ジムでトレーニングを積み、真空飛びヒザ蹴りなどの必殺技を編み出してKOを量産。リングだけでなく、映画やドラマ、バラエティーでも活躍した。

 73年には日本プロスポーツ大賞を受賞。史上3人目の3冠王に輝いたプロ野球巨人の王貞治を抑えての受賞で、国民的人気を誇るスポーツ選手だった。引退後は自動車の整備工場を経営しながら、後進育成にも励んだ。

 1日早朝に訃報を知った新日本キックの伊原信一代表(69)は「目配り、気配りの天才でした。女性にももてたし、男性があこがれる存在だった」と故人をしのんだ。伊原氏は目黒ジムに入門し、沢村さんの付け人を務めた。「空手をやられていた方なので、練習は厳しかったですよ。鉄人でしたね」と振り返る。

 その一方で、伊原氏の地元である九州で試合があると、施設にいた妹と弟のために「何か買ってあげな」とそっとお金をくれる優しさがあった。

「一つの時代ができたのは、沢村さんのおかげ。一生超えられないですよ。光り輝く星でした。学んだのは、何があっても最後までやり抜くことですかね」と語った伊原氏は「本当につらかったんだろうね。ゆっくりお休みください」と声を詰まらせながら哀悼の意を表した。