【八重樫東氏 内気な激闘王(11)】マジか…。ホントにやるのかよ。

 デビュー当初から大橋秀行会長が宣言していたように、最速記録(当時)となるプロ7戦目での世界王座奪取を目指し、イーグル京和さんとWBC世界ミニマム級タイトル戦(2007年6月4日、パシフィコ横浜)を行うことになった。試合が決まると、会長には「全然、大丈夫ですよ」と余裕をかましていたが、冒頭の言葉こそが本音だった。動じていないフリを装っていたが、内心はメチャクチャびびりまくっていた。

 だが、そんな恐怖とは裏腹に試合自体には少し自信もあった。実は拓大ボクシング部時代にプロのジムを巡っていた時、イーグルさんともスパーリングしていた。しかも内容が良くて、右ストレートでイーグルさんをグラつかせていたのだ。その記憶が頭の片隅にあり、今回もパンチが当たればストンって倒せるんじゃないか…という淡い期待を抱いていた。しかしフタを開けると、とんでもない洗礼を浴びることになる。

 1ラウンド(R)で3回くらい右をもらって、腰からカクンって落ちた。拓大時代にスパーリングした時とは全く角度が違う。プロに入って初めて効いたパンチ。そして2Rではイーグルさんの頭がガチンっとアゴに当たった(偶然のバッティング)。これでアゴの骨が折れ、以降は痛みとの戦いだった。必死で食らいついていったが、何を打ってもはね返され、どのパンチもかわされて当たらない。徐々にアゴがしまらなくなり、レフェリーに試合を止められるかもしれない焦りの中、パンチをもらわないように頑張った。その時点で「勝とう」という気持ちはなかった気がする。

 結局、12Rまで戦ったが0―3の判定負け。プロで初めて味わう黒星だった。試合が終わると、そのまま横浜市内の病院へ直行。顔面は腫れてボコボコ、アゴの骨折…鼻から管を入れられて流動食を流し込まれた。カロリーメイトみたいな点滴を打たれ、アゴを手術し、3週間の入院生活となった。まさにボロボロの敗戦だったが、ショックはなかった。期待してくれた会長にはすごく申し訳ないが「オレなんてこんなもんだ」って思っていた。悔しさも情けなさもない。自分に自信があればメチャクチャ悔しかっただろうが、幸いにも小さいころから内気な男だ。その性格は、こういう時に役に立つ。

 世間ではよく「目標は高く」「夢は大きく」なんて言うが、僕は子供たちに「志って低くてもいい」と言っている。設定を低くして、急がずに一つずつ満足感を得ていけばいい。自分はずっとそうやって生きてきた。だからボコボコにやられた時もすぐに立ち直ることができるのだ。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。