【八重樫東氏コラム】居酒屋でバイトしながら磨いた必殺「拓大カウンター」

2022年08月06日 16時00分

拓殖大学時代に試合に臨んだ八重樫
拓殖大学時代に試合に臨んだ八重樫

【八重樫東氏 内気な激闘王(6)】  子供のころから内向的で、人一倍のコンプレックスを抱いていた僕は岩手県立黒沢尻工業高でボクシングと出合い、ようやく自分に誇れるものができた気がした。

 3年時の2000年にインターハイ(モスキート級)で優勝し、ボクシングの名門拓大から声がかかった。それほど有望な選手ではなかったが、当時コーチだった中洞三雄さん(現拓大ボクシング部監督)が同じ岩手県出身という縁も背中を押してくれた。驚いたことにスポーツ推薦の中でも一番優遇された枠で学費は全額免除。こんな好待遇で迎えられるとは思っていなかった。

 だが、入学してみるとボクシング以外の戸惑いの連続だった。親元を離れて初めての東京生活。大学敷地内にある体育寮はボクシング部の他に柔道部、相撲部、レスリング部も共同生活を送っており、まさに“ザ・体育会”といった男くさい雰囲気だった。門限もあり、1年生は練習が終わると掃除、洗濯、電話番、雑用など大忙し。実家暮らしから激変し、日常生活をこなすことで必死だった。茗荷谷駅の近くの居酒屋でバイトしつつ奨学金を生活費に充てた。もちろん、飲み会やコンパなど、いわゆるキャンパスライフとは無縁。それでも一度も辞めたいと思わなかった。ボクシングに没頭できる最高の環境だったからだ。

 改めて振り返ると、拓大時代の4年間でプロボクサー八重樫東の土台が出来上がったと思う。足の使い方やパンチの打ち方などボクシング技術の基礎をしっかりつくることができた。ボクサーとして大きな影響を受けた人物は、1年生の時に4年生だったライトフライ級の先輩・和才隆一さん。すごくパンチが強く、打ち方がキレイでカッコ良かった。プレッシャーをかけながら相手が打ってきたパンチを外し、カウンターを入れるスタイルに憧れ、マネをしていた。結局、和才さんはプロへ行かなかったが、僕のボクサー人生でかけがえのない“教科書”となった。

 ちなみに相手の左ジャブを外側(右)にヘッドスリップして避け、右のカウンターストレートを打つボクシングは拓大の昔からの教えだ。部員は自然とその戦法を身に付け、プロに入った後に大橋秀行会長も「拓大カウンター」と呼んでいたほど。それくらい和才さんから受け継いだスタイルは拓大の伝統だった。

 着実に実力をつけた僕は大学2年の国体(ライトフライ級)で優勝。3年生になると下級生の雑用から完全に解放され、都内近郊のプロボクシングジムを“道場破り”のような形で巡り、トップクラスのプロ選手と拳を交わすようになった。自信がふつふつと湧いてくるのが分かった。もしかしたらプロでやれるかもしれない――。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。

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