【八重樫東氏コラム】戦闘能力ゼロだったのに訳も分からずボクシング入部

2022年08月05日 16時00分

インターハイで優勝した八重樫(左)。右はボクシング部に誘った西本氏
インターハイで優勝した八重樫(左)。右はボクシング部に誘った西本氏

【八重樫東氏 内気な激闘王(5)】  もし人生を「章」で区切るなら、八重樫東の第2章スタートは高校入学だろう。縁もゆかりもなかったボクシングの世界へ飛び込んだからだ。

 中学のバスケットボール部時代に「自分と向き合う」楽しさを知った僕は1998年に父(昌孝さん)と兄(大さん)の出身校、岩手県立黒沢尻工高に進学。大学に行く予定もないし、工業高校に行けば北上工業地帯で就職できると思って選んだ。部活を迷っていると、中学時代にバスケ部でキャプテンだった西本渉君に「ボクシングをやらないか」と誘われた。黒沢尻工高のバスケ部は全国レベルだったのでレギュラーになれないと思い、誘いに乗ってボクシング部に入った。ここが運命の分かれ道だった。

 ボクシングの知識といえば漫画「はじめの一歩」くらい。K―1のアンディ・フグ(故人)は知っていたが、ボクシングの試合をテレビで見た記憶もない。自分がボクサーになり、世界王者になるなんて夢にも思わなかった。人生って不思議なものだ。とはいっても僕は体が小さくてコンプレックスの塊。もちろん戦闘能力はゼロだ(笑い)。「ボクシングはやるけど、そんなに本気ではやらない…」と“保険”をかけてスタートした。

 ワケが分からないままボクシング人生が始まったが、不思議と違和感はなかった。恐らく僕は個人競技のほうが合っていた気がする。小・中学時代に野球、バスケと団体競技を経験してうすうすわかっていたが、協調性をもって一つの目標に進むより、1人で黙々と練習する時間のほうが好きだった。だからサンドバッグやシャドー、ロードワークなど1人でコツコツと努力を重ねるボクシングは楽しかった。

 入部後、初めてのスパーリングで洗礼を受けた。相手は高校OBで拓大へ進学した先生、つまり大先輩だ。いきなり左ボディーで落とされ、僕はドーンと倒れた。苦しくて、もだえたのを覚えている。同じライトフライ級とはいえ、大学の1部リーグでバリバリやっていた相手だから無理もない。今考えても、あのスパーは無謀だった。

 減量がきつくて部を辞める人も多かったが、僕の学年は8人全員、誰も辞めずに卒業できた。本当に仲が良かった。部活帰りに走ったり、バスケをやったり。練習は過酷だったが、みんなで一緒にいるのが楽しくてボクシングを続けることができた。3年生の時にインターハイ(モスキート級)で優勝し、実績を残せたが、同期と過ごした日々のほうが思い出として輝いている。後年、僕の試合には同期みんなが見に来てくれ、世界戦が“同窓会”となった。

 最高の環境で3年間を終え、拓大から声がかかってスポーツ推薦で入学できた。それも学費全額免除という好待遇。いよいよコンプレックスからの逆襲が始まった。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。

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