【八重樫東氏 内気な激闘王(3)】幼少期から体が小さく、何をやっても人並み以下。しかしコンプレックスが原動力となり、負けず嫌いな性格が出来上がっていった。

 地元の岩手・北上市内の野球チームでは5年生からレギュラー。うまく捕れず、悔しくて泣きながらボールを追ったが、6年生でキャプテンに任命された。しかしポジションは地味なキャッチャー。そして同じ時期に野球を始め、バッテリーを組んでいた清水健太君は4番でピッチャー。野球の「花形」でチームでは完全な“赤レンジャー”だった。僕は打撃も得意ではなく、キャプテンなのに主役を張れず、スポットライトを浴びることはできなかった。

 父(昌孝さん)は寡黙なエンジニア、母(淳子さん)は明るく社交的な肝っ玉かあちゃん。僕は1つ上の兄(大さん)、2つ下の弟(悟さん)に挟まれた次男で常に兄貴がやることをマネしていた。そんな家庭環境もあって僕はもともとキャプテン肌ではない。一応、正捕手なのでチームの要だけど、存在感はなく縁の下の力持ち的な立ち位置だった。人をまとめる自信もなかったので清水君のほうがよっぽどキャプテンらしかった。でもそんなポジションが妙に心地良かった。

 そういえば世界王者になってからも、ずっと誰かの陰に隠れていた気がする。3階級制覇を達成した時(2015年12月)には、すでに井上尚弥というとんでもない男が同じジムに現れ、他にも内山高志さん、山中慎介さん、村田諒太くん…。キラ星のような一流ボクサーたちに埋もれ、僕は世界王者なのに「誰?」って目で見られていた。そんな立ち位置が嫌いじゃなく、むしろ気に入っていたのは小学生時代につくられた“2番手気質”のせいなのだろう。

 たった一つだけ、忘れられない成功体験がある。小学校低学年の時に書いた「弟の入園式」という詩が表彰されたのだ。1番になった経験がない少年にとって初めての勲章。入園式の朝、父が靴を磨き、自分も特別な気持ちで身支度している様子が書かれている。今、読み返すと、なぜこんな詩を書いたのか覚えていない。たぶんかわいくて大好きな弟を題材にしたのが審査員に響いたのだろう。自分の内面を表現した作品が認められたのは僕らしいが、ここでも主役が自分じゃなくて「弟」というのが笑える。

 劣等感を抱きながらもささやかな成功体験を重ねて北上市立北上中へ進学し、漫画「スラムダンク」の影響でバスケットボール部に入った。子供にとってアニメや漫画の世界観って人格にものすごく影響を及ぼす。特に昔の熱血漫画は「頑張ればうまくなる」「努力は報われる」というストーリー。そんな“昭和の熱血魂”を漫画から刷り込まれた僕は、バスケ部時代に自分なりの努力の方法を確立した。毎朝1人で特訓を続けたのだ。

 ☆やえがし・あきら 1983年2月25日生まれ。岩手・北上市出身。拓大2年時に国体を制覇し2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。11年10月、WBA世界ミニマム級王座を獲得し岩手県出身初の世界王者になる。12年6月にWBC同級王者・井岡一翔と史上初の日本人世界王者同士の統一戦で判定負け。13年4月にWBC世界フライ級、15年12月にIBF世界ライトフライ級王座を獲得し3階級制覇を達成。20年9月に引退。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗。身長162センチ。