名城世界戦判定負け 首しめた減量優先

2012年09月02日 12時24分

 WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ(1日、大阪・住吉スポーツセンター)、同級10位の名城信男(30=六島)は王者テーパリット・ゴーキャットジム(23=タイ)に0―2の判定負け。3度目の王座獲得はならなかった。ダウンを奪っていれば勝敗が逆になっていたかもしれない僅差の試合だったが、「減量ありき」になってしまった調整が悔やまれる。


「接戦だから少しは(ポイントで)勝ったかなぁと思ったけど、追いつかなかったか、と…中盤のポイントがあそこまで(テーパリットに)流れているとは思わなかった」と試合後の控え室で名城は唇を噛んだ。


 1ラウンドは3人のジャッジ全員が名城にポイントをつけたが、2~5Rと7、8Rは逆にテーパリットは全てポイントを奪った。結果的に王者の勝ちと採点した2人のジャッジは、それぞれ1点差と2点差。単純計算になってしまうが、ダウンを一度でも奪っていれば判定は名城に傾いていた。

 

 9R以降は1人が12Rを「10―10」とした他は名城が取っていた。それだけに、もったいないと言わざるをえない一戦。「あと一発」が出なかったのは調整法に問題があったかもしれなかった。


 2003年のデビュー以来、Sフライ級を主戦場にしてきた名城も来月には31歳になる。年を重ねるボクサーの宿命とはいえ、年々減量が厳しくなってきた。


 ここ数試合は計量時にパンツを脱ぐのが恒例に。54キロの契約ウエートの時ですら素っ裸にならざるをえなかった。そこでテーパリット戦に向けて取り組んだのが「筋トレを減らして体重を落ちやすくする」ことだった。この甲斐あって前日計量では久々にパンツをはいたまま秤に乗ることができた。


 だがその代償としてパワーは失われ、最後まで王者を仕留めることができなかった。負ければ引退、を公言して臨んだ試合。「勝者がいれば敗者もいる。それがボクシング。悔しいけど仕方ない」と名城は試合後、改めて引退の意向を表明した。


 06年7月。辰吉丈一郎と並ぶ当時の日本最速記録タイの8戦目で世界王者となったボクサーの最後は、なんとも消化不良ぎみになってしまった。