【WBC世界ライトフライ級戦】怪物が歴史を変えた。WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ(6日、東京・大田区総合体育館)、同級4位の井上尚弥(20=大橋)は王者アドリアン・エルナンデス(28=メキシコ)に6回2分54秒でTKO勝ち。井岡一翔(25=井岡)の7戦目を更新し、国内最速の6戦目で世界王者となった。日本ボクシング史に刻まれた快挙は、父の真吾さん(42)と弟の拓真(18)の3人でつかんだもの。スピード記録達成の裏にあった井上家の“ママチャリ秘話”とは――。

 6回終了間際、井上の狙いすました右ストレートが王者の顔面をとらえた。エルナンデスは立ち上がったものの、もはや戦意喪失状態。グローブをダラリと下げたままで再開の意思がないのを確認したレフェリーは試合をストップ。歴史的偉業を成し遂げた新王者は2度飛び上がってからリングに突っ伏した。

 開始早々から、井上にはすでに王者の風格が漂っていた。豊富な運動量で常にリングの中央側にポジションを取り、多彩なパンチで王者をめった打ちにした。完全に主導権を握り、4回終了時の公開採点ではジャッジ3人全員が「40―36」で井上につけたほどだ。3回には左足がつるアクシデントに見舞われたが、それでも鮮やかなKO勝ちで決めた。この裏には父と弟とともに取り組んだ一風変わった特訓がある。

「スタミナがつけば、自信がつく」が真吾さんの信条。今回の試合に向け取り入れた“世界取りメニュー”は、自宅近くの公園で1周450メートルのコースを1分半以内で走る。1分のインターバル後に同じタイムで走ることを12ラウンド分、あるいはそれ以上の回数を繰り返すことだった。

「ボクシングのラウンド間と同じインターバルで、どれだけ呼吸が戻るのか、というのがポイントです」(真吾さん)

 これを尚弥と拓真の兄弟が一緒にこなす。周回コースなので、父はスタート&ゴール地点でストップウオッチ片手に待っていてもよさそうだが、真吾さんは違った。

「これだけきつい走りをすると、どうしても途中でペースが落ちたりしてしまいます。そうならないように、自分もタイムを計りながら自転車に乗って2人を追いかけていたんですよ」

 ペース配分にムラがあると、いいトレーニングができたとはいえない。均等なスピードで走り続けるように追いかけ回したというわけだ。

 450メートルを90秒は時速に換算すると18キロ。これを12回以上繰り返すことは真吾さんにとっても負担が大きいため、高性能のマウンテンバイクでも駆使するのかと思いきや「自転車ですか? こないだまで拓真が通学で使ってた“ママチャリ”ですよ」と父は笑いながら打ち明ける。

 拓真はこの春高校を卒業したばかりとはいえ、スピード記録がかかった歴史的な決戦用のトレーニングが、通学用に使った“ママチャリ”で息子を追いかけることだというから驚き。どこかの仰々しい一家とは違う、井上家らしい地に足がついた特訓だ。

 試合中に足がつり、逃げ切りは厳しいと判断した真吾さんは「(大橋秀行)会長に『いっちゃっていいですか?』と聞こうとしたら(倒しに)いってくれた。自分で判断したんだと思う」。試合後、その父に肩車された井上は「最高でした」と振り返った。

 日本ボクシング界に新たな歴史を刻んだ井上ファミリーは、これからも父子の二人三脚。いや拓真も交えた三位一体で進んでいく。

 ☆いのうえ・なおや 1993年4月10日生まれ。神奈川県出身。神奈川・相模原青陵高時代にアマチュア7冠。2012年10月プロデビュー。13年8月に最速記録に並ぶプロ4戦目で日本ライトフライ級王座、12月に東洋太平洋同級王座獲得。身長162センチ。右ボクサーファイター。6戦全勝(5KO)。