【東スポ60周年記念企画・フラッシュバック(2)】これまで数多くの快挙を達成してファンを熱狂させてきた日本ボクシング界だが、それ以上に歴史的な敗戦も目撃してきた。WBC世界バンタム級王座を10度防衛し、絶対王者に君臨していた長谷川穂積(真正)が、WBO同級王者のフェルナンド・モンティエル(メキシコ)の前に沈んだ衝撃のタイトルマッチ。本紙創刊60周年を迎え、印象的な試合、出来事を振り返る新企画「フラッシュバック」の第2回は現役の世界王者同士が日本のリングで初めて対戦した舞台裏に迫った。(敬称略、所属は当時)

 決戦の舞台となった東京・九段の日本武道館は異様な雰囲気に包まれていた。満員の客席を埋めた人たちは歓声を上げることも忘れて長谷川とモンティエルの動きを、文字通り固唾をのんで見守っていた。

 当時の日本ボクシング界は「世界タイトル」をWBCとWBAの2団体しか認めておらず、モンティエルが持っていたWBOは公認外。そのためこの試合は「現役王者」同士の対戦だったものの、WBOのタイトルはかけられず、王者の長谷川に対してモンティエルが挑戦する形で、WBCのタイトルのみがかけられる変則的なものとなった。

 この状況にピリピリしていたのが日本ボクシングコミッション(JBC)だった。モンティエル陣営に対して公式行事では日本で非公認のWBOのベルトを露出しないよう要請。渋々従っていたようにも見えたが、それでも王者のプライドからか、試合当日のリングインの際にはしっかりベルトを掲げていた。

 とはいえ、事実上の「王座統一戦」ということもあって、チケットは早々に完売。長谷川自身が知り合いに頼まれた分を調達できなかったほど、試合前から空前の盛り上がりを見せていた。

 世界的なリングアナウンサー、ジミー・レノン・ジュニアの「イッツ・ショータイム!」のコールで最高潮の盛り上がりの中で試合開始のゴング。序盤、主導権は長谷川が握っていたように見えた。事実、TKOとなる前の3ラウンドまでの採点は「29―28」が2人。残る1人のジャッジは「30―27」のフルマークで全員が長谷川を支持している。

 歴史的快挙達成へ向けてまっしぐら。その試合が日本で行われているのだから、ほぼすべての観客は長谷川を応援している。普通なら「ホヅミ」「ハセガワ」といったコールが起きてもおかしくないところだが、全く起きることはなかった。

 約1万人の観客は声援を送ることも忘れ、リングの上で長谷川とモンティエルが繰り出すパンチの一打一打を、緊張感の中で見守っていた。それほど、見るもの全てを引き込ませるファイトだった。

 だが、そのリング上では予想外のアクシデントが起きていたのだった。

 ボクシングの世界戦では、1週間ほど前から様々な公式行事が行われる。その中の一つが公開練習で、当時ほとんどの外国人ボクサーは、ミット打ちやサンドバッグなどを30分程度は報道陣に披露した。それがモンティエルはほんの数分軽く体を動かしただけで終了。他の日の練習でもジムの人間に全員退出を要求したほどだった。

 そうまでして隠し通した「左」が、試合では長谷川を粉砕した。

 長谷川は2017年4~5月に本紙で連載したコラム「覚悟」で、モンティエル戦の2週間前に親知らずを抜いたことを打ち明けている。さらには「普通は抜いた所の骨ができるまで半年空けなダメなんですけど、その場所を1ラウンドに殴られて、折れてしまったんです」とも語っていた。

 結果は「右あごの骨折」で手術にまで至る重傷。通常なら「試合中の痛みはアドレナリンが出ているので感じない」のがボクサーだが、この時の長谷川は初めて痛みを感じたという。

 モンティエルはフライ級を皮切りにバンタム級まで上げてきて3階級制覇。体格的に長谷川よりは小柄だったが、そのパンチは「なぜかハンマー振り回されている感じで怖かったのを覚えてます」。

 運命の第4ラウンド、残り10秒を告げる拍子木が鳴ったところで試合は動いた。

 左の連打を受けた長谷川の腰が落ちかける。すかさずたたみかけるモンティエルにロープまで追い詰められて殴られっぱなしとなった状況に、レフェリーが間に割って入ってTKOを宣告した。

 この時、長谷川は左手でロープを持ち続けていたように見えたことが「最後まで倒れることを拒んだ」とも言われたが、実際には手がロープに絡まってしまい、上からか下からか、どちらから抜いていいのかわからなくなった、というのが真相だ。

 無敵と言われたウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を破ってから5年間守り続けた王座を手放した時の気持ちは「いつかは負けると思っても、実際に負けるとは思ってないから『夢』みたいでした」。日本ボクシング界にとっては、今も世界王座の連続防衛記録として残る元WBA世界ライトフライ級王者、具志堅用高の「V13」以来29年ぶりとなる2桁防衛が終わった瞬間だった。

 控室に戻り、泰子夫人の顔を見た長谷川は、ボクサー人生で「後にも先にもこの時だけ」涙を流した。それだけ衝撃的で悔しい敗戦だったが、後日「理想の70%ぐらいのボクシングができた。自分自身が研ぎ澄まされていて、リングの中は“2人だけの世界”ができていた。試合は負けてしまったけど、あれがこれまでで最高でした」と、何ともいえない空間にいたと振り返った。

 さらに引退後のインタビューでは「もう一回過去に戻れるならやりたい。一番戻りたい『時』かもしれない」とも語っている。

 戦った当事者にとっても、ファンやその場に立ち会った者すべてにとって、濃密な719秒間だった。

 ☆はせがわ・ほづみ 1980年12月16日生まれ。兵庫県出身。元プロボクサーだった父・大二郎さんの影響で小学2年からボクシングを始め、2005年には当時14回連続防衛していたウィラポン・ナコンルアンプロモーションを破ってWBC世界バンタム級王者になる。同王座を10度防衛した後、WBC世界フェザー級、スーパーバンタム級王座も獲得し、3階級制覇を達成した。現在は神戸市灘区で、自身の経験を元に初心者から経験者まで幅広く指導するスポーツジム「長谷川穂積フィットネス&ボクシング」の会長を務める。