【前田日明(4)】  俺が格闘技を始めたキッカケはテレビドラマ「ウルトラマン」の最終話(1967年)で(悪役怪獣の)ゼットンに負けたウルトラマンの仕返しをするためって有名な話だけど、幼心に本気で「カタキを討つぞ」と思っていてね。

 ウルトラマンが負けて意気消沈していたころ、親父(正雄さん)と銭湯に行くと、少林寺拳法のポスターが張られていた。ウルトラマンのように飛び蹴りしていて「うわっ、こんなことできるの!」って。入門を希望すると母親(幸子さん)が猛反対。親父が年中ケンカしている暴れん坊だからそうなっては困ると。約1年間にわたる押し問答の末、小学4年生で認めてもらった。

 当時の少林寺拳法は大学スポーツで隆盛していて「少年部」は小学生の俺だけ。中学生も高校生もいない。みんな大学生以上。だからかわいがってもらってたよ。

 大阪・北陽高(現関西大北陽高)に入学後(74年)から始めた空手は無想館拳心道という流派で館長の岩崎孝二さんが面白い人だった。「強くなったら誰でも精神修行するものだ。ケンカはいけないけど、やることになったら負けちゃダメだよ」と。空手の技を教えながら、ケンカ必勝法も教えてもらって「ごめんなさいって言いながら頭突きせい、それで終わりや」とか(笑い)。

 俺が初段とったころ、モリオカさんって先輩が「空手の初段は自動車で言うと仮免だ。どういう意味か分かるか」と言うから「分かりません」って言ったら「仮免には路上教習があるねん」って毎日呼び出されて。ラブホテル街のあたりで待ち伏せして、若い女の子を連れ込んで出てきたオッサンを見つけては「まずアイツをシバけ」と言われていたね。

 よく知られる「輪島(※1)襲撃未遂」は高校3年生かな。力士ってどのくらい強いんかなと…。いきなりお相撲さんというのもアレだし、ザンバラ髪の序二段とか三段目とか、体も100キロくらいのやつを探してて。

 ミナミに相撲取りが出入りするお茶屋さんがあって、待っていたらザンバラ髪が出てきた。後ろから頭をつかまえようとした瞬間、背後に影を感じて振り向いたら輪島がいた。すごい迫力だった。「何してるんだ」と言うから「お疲れさまです。ファンだったんで触ろうと思って…」とか言いながら退散したんだよね。

 高校3年生の時点で189センチ、73キロあったから逆に「相撲取りにならないか」って輪島に誘われたんだ。「とんでもないです、無理です」と逃げたんだけど。天龍革命(※2)のころ、この話が話題になって、誰かが輪島さんに聞いたら、俺のことは覚えてくれていたみたいだね。

※1大相撲の元横綱、元プロレスラー

※2天龍が1980年代後半に全日本マットを活性化

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。