【山本美憂コラム】夢中でミットを打ち続けた…「ノリが旅立った夜」

2022年07月28日 16時00分

徳郁さんが亡くなった日の夜、ボクシング練習で涙を流す美憂。聖子さんが撮影(本人提供)
徳郁さんが亡くなった日の夜、ボクシング練習で涙を流す美憂。聖子さんが撮影(本人提供)

【山本美憂もう一息!(27)】病魔と闘う弟・ノリ(徳郁さん)の家族と私の家族でグアムに移住し、回復へ一丸となる中、2018年7月末のRIZINで石岡沙織選手に勝利。「絶対に出た方がいい」と出場を後押ししたノリは喜び、ベッドから出て歩いたり、ジムに来るようになりました。ノリが元気になるなら、とすぐに次戦を逆オファー。9月30日の試合を組んでもらいました。

 しかし、闘う姿を再び見せることはできませんでした。9月18日。朝起きて、ベッドの上のノリに「おはよー」と声をかけると「おはよー」と返してくれたノリ。細くなってしまった足がつらそうだったので、持って動かしたりしていました。次第に容体が悪化。お医者様に連絡し指示を受けていたのですが、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

「いやあああ」。まさか最後の日になるとは思いもしませんでした。弟の死を信じられず、受け入れることができない。さっき、おはようと言葉を交わしたばかりだったのに。次の試合も見てくれると思っていたのに…。
 子供のころはいつも一緒で、何かあると姉を頼りにしてくれるかわいい弟。その半面、嫌なことや悲しいことを、すべて自分で抱えてしまう子。もっと一緒にいればよかった。優しいお姉ちゃんとして、もっと近くで手伝っていたらストレスを抱えず病気にならなかったかもしれない。いろんな思いで、ぐちゃぐちゃになりました。

 その日はあっという間に過ぎていきました。たくさんの人が集まり、昼過ぎには霊柩車が来てノリを乗せていきました。私は夜にボクシング練習の予定でしたが、とても集中できる状態ではありません。しかし「これ、やらないと怒られるだろうな」と頭に浮かんできたのはノリの顔でした。

 弟はアスリート一家のさだめを身をもって示していました。母(憲子さん)が亡くなった後、ノリはすぐに大学の大会に出て優勝した。「出なかったら(母が)悲しむだろ」と。ここでやらなかったら亡くなった家族がどう思うのか。私にはやるべきことが分かっていました。

 米国本土からグアムに来ていた妹の聖子にカツを入れられました。「美憂、頑張らないとダメだよ!」と。離れて暮らしていた聖子とはノリのことでもめたり、連絡をマメにしないと「何やってんの!」とケンカになったことも。でも妹は練習に臨む私を「頑張れ、頑張れ」と支えてくれました。横を見ると聖子もなぜか一緒にミット打ちをやっている。この時ばかりは2人でミットをめがけ夢中で打ち込みました。厳しい練習をやり終わると、一気に涙があふれ出てきました。グローブを着けながら泣き崩れていると、聖子が私の写真を撮っているのです。

「なんでこんなところを撮ってんの!?」と食ってかかる私に聖子は「つらい時でも美憂は頑張った。その姿を後で見返したら、励みになって絶対もっと強くなるよ!」と。その時は理解できませんでしたが、後で「ああ、こういうことだったんだな」と納得することになるのです。

 試合まで2週間足らず。ノリに勝利をささげたい。悲しみを脇に置き、練習に打ち込みました。

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。

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