【山本美憂コラム】夢の世界制覇後、私の運命を左右するある提案が…

2022年07月04日 16時00分

表彰台の頂点に立った(東スポWeb)
表彰台の頂点に立った(東スポWeb)

【山本美憂もう一息!(7)】1991年、東京で日本初の女子レスリング世界選手権が行われました。50社を超える報道陣が訪れ試合がテレビ中継されるなか、47キロ級に出場した私は初戦で強豪パトリシア・マクノートン(のちのサンダース)に勝利。その後2試合に勝ち、決勝に進出しました。

 相手は中国の藩燕萍。中国はこのころ、突如女子レスリングに力を入れ始め、大会にも4階級に選手を送り込んできました。不気味な存在で「いつの間にここまで強化してきたのか」とコーチ陣も驚くほどの強さ。3階級を制覇していました。

 私にとっては年齢制限の特例でやっと出られた夢舞台。相手が誰だろうが、負けるわけにはいきません。試合開始。父(郁榮氏)に教えを受け、弟のノリ(徳郁)が練習相手を務めてくれた得意のタックルで攻めていきました。しかし相手の懐に入れたのですが、力で勝る相手が私を返し、2ポイントを先制されてしまいます。その後1ポイントを返し、反撃開始。相手が私を返そうとしたところを逆に押さえ込みました。審判がバンとマットを叩き試合終了。59秒、フォール勝ちです。やっと世界一になれました。うれしくて、セコンドとしてマットサイドにいた父の元に走って、飛びつきました。

 普通は、レスリングのチャンピオンにはメダルとベルトが贈られます。しかし、日本レスリング協会の福田富昭さん(現名誉会長)が、女王なのだから、と今大会は真珠をモチーフにしたきれいなティアラを作ってくれました。福田さんの女子に対する熱意が伝わってきました。王冠を頭にのせ表彰台に立てて、とてもうれしかったです。

 世界選手権は海外選手との交流の場でもありました。このころ、私は海の向こうの世界への好奇心が強くありました。17年間日本で生活したので違う世界を見たくなっていたのです。初戦で対戦したパトリシアに、米国はどんな国なのか、あれこれ聞いてみました。するとパトリシアが「留学してみたら?」と勧めてくれたのです。私はやりたいと思うと周りが見えず突き進んでしまうタイプ。いつも自分でも予想外の展開になるのですが、この時も「留学に行く」と決めてしまいました。

 米国行きを父と母(憲子さん)に切り出すと「ええ!」と驚かれました。今思うとよく許可してくれたな、と思います。子供を持つ身になった今だからわかります。私だったら泣いてしまう。絶対に許さず、手元に置いておきたいと思ったはず。感謝ですね。

 パトリシアがあれこれ手続きを進めてくれ、大会からわずか2か月後、私は米アリゾナ州へと旅立ちました。まずは日本チームの一員として、サンキスト国際に出場。大会後、チームを離れフェニックスに直行し、米国での高校生活が始まりました。

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。

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