【今週の秘蔵フォト】ジャズ界において屈指の名シンガーとされるのが、伝説の女性黒人ボーカリスト、ニーナ・シモンである。幼少時からピアノと歌で圧倒的な才能を発揮して、高校卒業後にプロのシンガーとなり、同時に名門ジュリアード音楽院で学んだ。1954年からバーでピアノの弾き語りを始め、地道な活動の末に才能が認められて59年にレコードデビュー。同年の「アイ・ラブ・ユー・ボーギー」が大ヒットして一気にジャズ界のスターとなった。

 73年10月21日付本紙では初来日を果たした彼女の貴重なインタビューが掲載されている。当時40歳。60年代の黒人公民権運動にも積極的に参加したとあって思想的な「芯の強さ」がうかがえる。

「ジャズとか、ブルースとか、ゴスペルとか、ソウルミュージックといった音楽の区別は私にはできない。全部が溶け合って私の音楽が成立すると思うんです。私は歌うことも含めてユニークな演奏者でありたい」と真摯な表情で語る。

 確かに歌のジャンルは幅広く、ジャズのみならずボブ・ディランやザ・ビートルズ、ジョージ・ハリスンのカバーにも取り組んでいた。さらには64年の「悲しき願い」はスタンダードナンバーとなり65年にジ・アニマルズ、77年にはサンタ・エスメラルダ、日本では65年に尾藤イサオら幅広いジャンルでカバーされた。

 社会派シンガーとして「ブラック・イズ・ビューティフル」の意識は強く、白人観衆の罵詈雑言を受けた際に「私は白人の前では歌わない」とステージを放棄したこともあり、その件に話が及ぶや「私はアフリカ系のアメリカ人です。アメリカの音楽は例外なくアフリカの影響を受けている。例外があるとするなら、それはインディアンの音楽でしょう」と力強く語った。

「音楽はメッセージであり、人の心を揺るがすものだと信じている。私は演奏者としてより優しさを追求していきたい」

 80年代後半までライブ活動を続けたが、2000年にフランスに移住後は闘病生活の末、乳がんで70年の生涯に幕を閉じた。

 壮絶な生きざまは、15年作の伝記映画「ニーナ・シモン 魂の歌」で今でも確認できる。