【今週の秘蔵フォト】フォークソングが社会的な力を持っていた1960年代の米国で極端に反戦的でもなく、若い世代の内面をサラリと歌う稀有な女性フォークシンガーがメラニーだった。生粋のニューヨークっ子で大学で演劇を学んだ後、1967年にデビュー。当初は舞台女優で「アニーよ銃をとれ」などで主演を務め、ニューヨークのコーヒーハウスやグリニッジ・ヴィレッジのフォーククラブで弾き語りを始める。

 その姿がレコード会社のプロデューサーの目にとまり、69年には伝説のロックフェスティバル「ウッドストック」初日のステージに登場。ボブ・ディランの「ミスター・タンブリン・マン」などを歌って注目を浴びた。

 同年には「ボボズ・パーティー」がフランスで1位を記録。71年9月には「心の扉をあけよう」が全米1位を記録。全世界的な大ヒットとなり、一気に時代の寵児となった。他にもザ・ローリング・ストーンズのカバー「ルビー・チューズデイ」や「レイ・ダウン」などをヒットさせた。

 人気絶頂期の72年11月には待望の初来日。同年11月20日付本紙では来日公演中にインタビューに応じている。

「毎日の生活は歌を作ることが主体ね。詩を書いたり、曲を作ったり、絵を描いたり。そんな毎日です」。歌同様に清楚な姿で屈託なく語る。基本的には菜食主義者で、好物はパセリとにんにくと明かし「料理は好き。にんにくが大好きだけど場所などをわきまえなければいけないし…菜食のほうは3年間、続けました。最近は必ずしもそうじゃないんです。私たちのような仕事をしていくには野菜ばかりじゃダメなんです。たまに肉を食べてエネルギー源にしないと。肉食が2日続くことはないんだけど」と笑顔を見せた。

 日本の印象については「その国の宗教について関心が強いんです。日本と言えばやはり“禅”でしょう?」と目を輝かせる。75歳の今でも元気で、ヒップホップ界の大御所カニエ・ウェストは2004年に自曲「リビング・イン・ア・ムービー」でメラニーの「イン・ジ・アワー」をサンプリングしている。一度聴いたら胸から離れない歌声とたたずまいを持つシンガーだった。