コロナ禍の影響で7月29日限りでの営業終了が発表された映画館・岩波ホール(東京・神田神保町)に、惜しむ声が相次いでいる。

 1974年から65か国の271作品を上映してきた同ホール。SNS投稿で少なくないのが、正統派の名作ラインナップがお堅く感じられるのか、存在は知っているけれど〝敷居が高い〟といった未体験告白だった。

 日本映画も、ドキュメンタリーの大家・羽田澄子氏や女優で「ねむの木学園」創設者の宮城まり子の監督作品が複数かけられており、エンタメ・商業色は薄いイメージ。ただ、現在も活躍するトップ俳優にとって転機となるような作品も上映されていた。

 2004年公開の「父と暮せば」は井上ひさし氏の戯曲を黒木和雄監督が映画化し、宮沢りえと原田芳雄のダブル主演で高い評価を得た。当時31歳の宮沢は既に02年の「たそがれ清兵衛」で数々の映画賞をさらっていたが、04年度の芸術選奨文部科学大臣賞に輝くなど、黒木作品が女優としてのステップアップを決定づけるものとなった。

 南果歩が20歳で銀幕デビューした「伽倻子のために」も岩波ホールで84年に封切られた。当時学生の南はオーディションを突破して名匠小栗康平監督作品のヒロインの座を獲得。同ホールで88年公開の「TOMORROW/明日」(黒木監督)にも出演した。

 小栗監督作品では96年に「眠る男」が同ホールで公開されている。この年の役所は「Shall we ダンス?」が大ヒットし、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞など数々の賞を獲得。認知度では「Shall we」だが、芸術性の高い「眠る男」は役者としての技量を世に知らしめる一作となった。

 こうした俳優たちと岩波ホールについて「主演の南果歩さんがロビーで観客の見送りをしていたのを憶えている」「宮沢りえさんの(『父と暮せば』での)包丁さばきが見事だった」などと懐かしむ観客の声がツイッター投稿されていた。