【今週の秘蔵フォト】1970年代までにはR&Bの神様レイ・チャールズ、サンタナなど海外の大物ミュージシャンが本紙のインタビューに応じることが多かった。

 76年6月28日には世界的人気を誇った姉妹ソウルグループ、ポインター・シスターズが第5回東京音楽祭金賞を獲得して来日を果たし、本紙に登場している。

 メンバーは長女ルース、次女アニタ、三女ボニー、四女ジューン。59年にデビューした後にハービー・ハンコックと共演。「イエス・ウィ・キャン・キャン」(73年)、グラミー賞を受賞した「フェアリーテイル」(75年)などのヒットを飛ばした。

 上は30歳から下は23歳まで。女盛りの4姉妹とあってインタビューは相当にぎやかだったようだ。

「賞もいいけどパーティーで飲んだサケ! あれは最高ね。サケ(サック)・イット・トゥ・ミー!ってカンジよ」(ボニー)、「賞金はショッピングで使っちゃおう。そうだ、ジャパニーズ・スーパーマン(ウルトラマン)を買って帰ろう!」(ジューン)。

 それでもルーツである宣教師の子供だった貧しい時代に触れると「ハイスクールの時、新しいコートなんか買えなかった。初めて買ったコートは古着で50セント。それも分割よ」(ボニー)、「家でも教会でも歩いていてもいつでも(合唱)よ。夕方4人で賛美歌を歌うと父はうっとりと聞きながら眠ってしまった」(ルース)としんみりした表情を見せる、すると記者の前で4人が賛美歌を突然ハーモニーし始めたという。

 翌年77年にボニーが脱退したが快進撃は続き、80年代に打ち込み中心のダンサブルなサウンドが主流となるや、4曲の全米トップ10ヒットを飛ばした。85年には全米のトップアーティストが集結した「USAフォー・アフリカ」の「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加した。現在でもメンバーを変えて活動中。80年代を代表するソウルグループの貴重な「記録」ともいえるインタビューだ。