落語家で人間国宝の柳家小三治(本名・郡山剛蔵)さんが7日午後8時、心不全のため東京都内の自宅で死去した。81歳。東京都出身。故人の遺志により葬儀は密葬で行った。お別れの会の予定はないという。

 ラジオの素人寄席で注目され、高校卒業後、1959年に五代目柳家小さんさんに入門。69年、真打ち昇進とともに、十代目柳家小三治を襲名した。

 81年に芸術選奨文部大臣新人賞、2004年芸術選奨文部科学大臣賞。05年紫綬褒章、14年旭日小綬章受章。同年、師匠の小さんさん、桂米朝さんに次ぐ落語界3人目の人間国宝に選ばれた。10年から4年間、落語協会会長を務め、若手の育成にも尽力した。俳句やバイク、スキー、塩へのこだわりなど、多趣味で知られた。

 小三治さんの死は突然だったようで、最後の高座は亡くなるわずか5日前の今月2日。今後も落語会が来年まで予定されていた。

 落語界にわずか3人しかいない人間国宝に輝いた小三治さんだが、選ばれた時も「賞とかそういうものに値打ちとかはもともと感じない」と淡々と語っていた。一方で「本当にうれしいのは肩書きではない。私の勲章は寄席、あるいは落語会にお越しになる一人ひとりに喜んでもらうことが一番」と力説した。

 その言葉通り、テレビ出演などはほとんどせず、寄席や落語会などの高座に力を入れた。演芸関係者は「〝孤高の落語家〟と言われ、一門以外の落語家ともあまり交流はなかったようだ。基本的にテレビ出演のオファーも断ることが多いから知らない人も多いが、落語会の集客力はピカイチ」と指摘する。

 有名なのは毎年8月に、昼席でトリを務める東京・池袋演芸場の舞台だ。

「はっきり言って池袋演芸場は、あまり客が入らないことで知られる寄席。でも小三治さんがトリを取る10日間だけ、トップの若手の出番から連日、立ち見が出る大盛況となる。東京の落語界では、それが〝夏の風物詩〟となっていた」(同)

〝孤高の落語家〟のご冥福を祈りたい。