どつき漫才の第一人者として人気を博した夫婦漫才コンビ「正司敏江・玲児」の正司敏江さん(本名・及川キミコさん)が18日午前1時59分、脳梗塞のため大阪市内の病院で死去した。80歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。松竹芸能が19日、発表した。

 香川県の小豆島出身の敏江さんは、かしまし娘の住み込み弟子となったあと、1962年に正司芳江・利江(敏江)・春江のトリオで「ちゃっかり娘」を結成した。

 64年に結婚した玲児さんと68年に「正司敏江・玲児」の夫婦漫才コンビで道頓堀角座デビューした。

 新作漫才披露の際、玲児と意見の相違があり、舞台上でどつき合いの喧嘩になったが、これが観客に大ウケ。以後、玲児が敏江の頬横にビシャリと平手打ちを食らわすと、お互い殴る、蹴る、舞台の袖まで飛ばされてゆくという、このコンビ独特の「どつき漫才」の型が定着した。

 76年に玲児さんと離婚した後も、コンビは継続。離婚ネタが加わり、さらに芸がスケールアップしたが、2010年の玲児さんの死後はピン芸人として活躍していた。

 訃報を受け、親交のあった芸人も追悼のコメントを寄せた。落語家の桂福団治は「敏江ちゃんは誕生日の近い私と同い年で、長い時間、楽屋生活を共にして、心の通じ合った友達でした。相方の玲児君が亡くなってからは漫談などでお客さんを楽しませていました。晩年になってからも私の舞台に何度も誘うと、お決まりの振り袖姿で登場しては、憎まれ口の愛されキャラを存分に発揮してくれ、笑いを巻き起こしていました。ほんとうにお疲れ様でした。向こうでまた、どつき漫才、やってな。ご冥福を祈ります」。

 後輩の兄弟漫才コンビ「酒井くにお・とおる」は「驚きと大変寂しい思いでいっぱいです。我々、松竹に入って50年ほどテレビ、寄席、芝居、など数え切れないほど敏江師匠と仕事を一緒させていただきました。誰にでも好かれ、漫才では殴られ、蹴られても楽屋に帰ると明るく元気な敏江師匠の笑顔が思い出されます。その姿で芸人魂を教わった気がします。お世話に成りました。ご冥福をお祈り申し上げます」と偲んだ。