【家田荘子の駆け込み寺】あなたの話をお聞かせください――。作家で僧侶の家田荘子氏が気になる人物に迫る「駆け込み寺」対談編。話すことで自身を見つめ直し、人生の学びを見いだす。家田氏が話を聞いたのは“男・山根”こと日本ボクシング連盟第12代会長の山根明氏(81)とその妻・智巳さん(53)。2018年の連盟の大騒動を渦中の2人はどう感じていたのか。夫婦の絆に家田氏が迫った。

 家田氏(以下、家田)連盟の騒動でバッシングに遭った。

 山根氏(以下、山根)僕はボクシングで人さまの子供のために命をかけてきた。自分のためじゃない。あれは山根明を陥れるためのシナリオ。僕は何も悪いことしていないし、今でも全国からファンが会いに来てくれている。

 家田 奥さまの支えがあった。

 山根 バッシングの時、誰一人ガードする人間がいてなかったけど、女房だけが最初から最後まで逃げずに付いてくれた。男冥利に尽きます。感謝します。女として最高。だから、僕もこの女性に対して命をかけています。男女間というのは口先だけじゃなく、本当の愛というのは何か。お互いに欠点はあっても、かばい合って助け合うのが夫婦だと思います。

 家田 奥さまとめぐり合ったのは。

 山根 最初はね、僕は同情結婚でした。でも、嫁に男の人生をかけて勝負した。だから、嫁も最後まで守ってくれた。今となっては僕は幸せですよ。28歳差で息子よりも下だから、子供やと思ってましたけど、今は子供にされてる。男性は女性には勝てない。

 家田 奥さまにもバッシングの時のことを聞きたい。

 智巳さん(以下、智巳)「どうしてテレビで会長のことをやってるの?」ってビックリしたし、バナナがどうとかリストを話題にしてて、「日本のテレビは何をやってるの?」って鼻で笑ってた。私は連盟のこともボクシングのことも関心もないし、分からない。人を痛ませたりするのが嫌いだから、ボクシングは一番嫌いなスポーツだったんです。家でも会長とはボクシングの話もしなかった。

 家田 バッシングはやまない。

 智巳 ワンちゃんを2匹飼ってるんですけど、ずっとピンポン鳴らされるから、ストレスがたまって毛が抜けた。私の店の方にも記者やカメラがやってきて、周りから苦情も来るし、従業員も怖がって商売もできない。騒動が何かは分からないけど、「山根明が死なないと終わらない」と思った。会長にも「連盟なんて辞めて」と言った。会長が一生尽くしてきたのに誰も守りに来てくれない。役員みんな手のひらを返した。私も商売できないし、店を閉めて、どこか小さなところでも働きに行くから、何もないところで一緒にゼロからやりましょう、って言ったんです。

 家田 会長は何と。

 智巳 何も言わずにじっと考えてました。私は会長が受けるまま、付いていくしかなかった。騒動で会長がパタッと倒れて死ぬんじゃないかと思った。普通の人はこの年で頑張れる精神力、判断力がない。騒動が終わってから、多くの人が「この人はそんな(悪い)人じゃない」と分かってくれたのは良かったですね。

 家田 そもそも、ボクシングとの出会いは。

 山根 6歳の時に終戦になって韓国に疎開した。10歳の時に日本に戻ろうとして、家族で密航船で不法入国。捕まって大村収容所に収容されました。一度韓国に戻り、11歳の時、また日本へ。僕は重量挙げが好きでやってたんですけど、親父がボクサー上がりでね。親父に教えてもらいながら、15歳の時にデビューしました。東洋タイトルマッチのレオ・エスピノサ選手と大滝三郎選手の前座で、大阪府立体育館で試合したんです。大好きな力道山がリングサイドにおられてね。見とれて負けました(笑い)。

 家田 力道山さんに会えてうれしかった。

 山根 プロレスの試合が大好きでね。重量挙げもやってたからプロレスラーになりたい夢を見とったけど、道が違ったね。ボクシングではない方が幸せやったかもわからんけど、やったから家田さんともお会いできた。若い世代の教育としてアマチュアボクシングに貢献できたのは誇りですね。

【対談を終えて】連盟の騒動の時に逃げないで乗り切られたのは、子供時代からの苦労などもあって、たくましい精神力をつくられたからだと思った。奥さまから「辞めましょう」と言われて黙っていたという話は、目に浮かんで印象的でしたね。

 ☆やまね・あきら 1939年10月12日生まれ。大阪府堺市出身。ルーツは韓国。奈良県をボクシング王国に引き上げた手腕を買われ、日本ボクシング連盟理事など数々の役員を歴任。2011年、会長に就任したが18年に辞任。その後、除名された。19年には新団体「ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ(WYBC)」を設立。いまなお、ボクシングへの情熱をたぎらせている。

 ☆いえだ・しょうこ 7月22日生まれ。愛知県出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。女優、OLなど10以上の職歴を経て作家に。大ヒット映画「極道の妻たち」の原作者として知られる。1991年「私を抱いてそしてキスして―エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2007年高野山大学にて伝法灌頂を受け僧侶となり、住職の資格を持つ。ユーチューブ「家田荘子チャンネル」を配信中。