【ルックバック あの出来事を再検証(4)後編】フィギュアスケートの世界選手権を2度制覇した安藤美姫(33)が、初めて苦悩の胸中を語った。華麗な演技で注目を集めるようになった一方、プライベートでは世間から好奇の目を向けられるとともに激しいバッシングを受け、一時は完全にふさぎ込んだ。そんな中で大きな影響を与えてくれたのが、同じ時代を生きたバンクーバー五輪銀メダリスト浅田真央(30)の存在だったという。

 ――真央さんはどんな存在なのか

 安藤 もともと同じクラブでやっていたので幼なじみというか、妹みたいな存在ですね。今でもたまに連絡を取りますし、お誕生日の時にはメッセージを送り合っています。よくライバルと言われましたが、浅田さんにはユナ(キム・ヨナ)がいたし、ライバルという意識はなかったです。
 
――よく比較されたし、世間の印象も違った

 安藤 それはメチャクチャ感じていましたよ。扱いが違い過ぎましたね(笑い)。覚えているのが07年の世界選手権。浅田さんのために用意された大会と聞かされ、世の中が浅田さんの優勝を求めていた。現場にもそんな空気が漂っていました。確かテレビ中継のゲストが(女優の)井上真央さん。優勝インタビューで「ダブル真央」という流れだな…って冷静に見ていました(笑い)。そんな状況で私が優勝しちゃって。変な意味じゃなく、本当にごめんなさいって気持ちでしたね。

 ――真央さんに少しでも嫉妬したことは

 安藤 ないですよ。だって求められるものが全く違うから。例えばスケーティングの美しさや繊細な動きは絶対に浅田さんには勝てない。あと清潔感があってピュアなところが浅田さんの魅力。逆に私は海外の方に受けが良かった。だから浅田さんと同じようなスケートをしても絶対にいい評価はもらえないし、ジャッジもファンもそれを求めていなかったと思う。むしろ同じ時代にキャラクターの違う存在がいたから、自分の道でいこうって思えた。そうやって切磋琢磨できたことに感謝しています。 

 そう赤裸々に語ってくれた安藤。現在は大きな夢に向かって走っている真っ最中だ。「自分のアイスリンクを建てたいです! そこをホームにしてクラブをつくり、子供たちや選手を育成する。今、日本のトップ選手はみんな海外で練習していますが、それを逆にしたい。世界のトップ選手が日本で刺激を受け、海外に持って帰るんです」

 施設名として「ミキティ・リンク」を提案すると「いや、たぶんそこはスポンサーさんの名前が入るだろうと…。すみません、現実的で」とニッコリ。その笑顔は希望で満ちあふれていた。

☆あんどう・みき 1987年12月18日生まれ。愛知・名古屋市出身。8歳でスケートを始め、ジュニア時代に出場した2001―02年シーズンの全日本選手権で3位となり、注目を集める。06―07年シーズンの世界選手権で日本女子4人目となる優勝を果たすと、10―11年の世界選手権も制した。五輪は06年トリノ大会で15位、10年バンクーバー大会は5位。13年12月に現役引退を表明し、現在はタレント、プロスケーター、振付師として活動中。162センチ。