【現役女優が芸能界の性接待を実名告白!石川優実「#MeToo」:連載2】芸能界のセクハラ、パワハラを顔出しで告白した女優・石川優実(31)の連載「#MeToo(ハッシュタグミートゥ)」の2回目はグラビアデビュー後、すぐに“過激路線”をやらざるを得なくなった当時の心境を告白する。

 当時のマネジャーさんから「東京の出版社を回ってみるか」というお話をされて、多くの出版社さんを回らせていただきました。決まったのが「お菓子系」と言われる雑誌を出版していた、ミリオン出版社さんだった。

 当時は上京してなくて、名古屋からの通いでした。

 初めてグラビア掲載が決まった時はうれしかったですね。最初は露出も多くなくて、水着だったし、下着でもなかった。雑誌はアダルトだったけど、自分のページはグラビアアイドルとしてカテゴライズされた部分でしたから。やっぱり仕事が決まったというのは純粋にうれしかったですね。

 その時点で女優業については、まだまだ考えるというタイミングではなく「自分には何ができるんだろう」くらいの時期で、とりあえず今のお仕事をやってみようという感じでした。

 でも、2か月目からはグラビアの露出がどんどんハードになっていくんです。

 初めて出させていただいた初回は巻頭グラビアで、10ページぐらい。多分、当時の編集長さんが気に入ってくださったのかな。いまでも仲が良いんですが。それで次のお仕事のオファーも届いたんです。

 でもマネジャーの説明がおかしいところがあったんです。「反響があったから次もお願いします」と言われていたはずなのに「露出しないと使えない」と。私は意味が全然わからずに「えっ…」とちゅうちょした部分もあったんですが、その時点では業界に対して知識も全然ないですし、で、ミリオン出版さん以外の出版社さんからは断られているという心理的な負い目というか「こっちがダメなんだ…」という気持ちになりました。「ビジュアルとかいろんな面で私がダメだから、やらなきゃいけないんだ」と。そのへんから自分では嫌な部分を感じながら、受け入れてしまったんです。

 グラビアでの露出の過激さは、細かく言うと、「スカートの下にはいている水着を撮影する」から始まりました。理屈的には“水着だから下着ではない”という感じですね。でも、次号からはもう「下着」をはいていました。その次にはもう「Tバック」をはいていたと思います。

 あっという間だったので、当時はファンの方も「この子、本当に大丈夫かな」と心配してくれていたみたいで「そのままAVにいっちゃうんだろうな」と思われていたそうです。布の面積もどんどん減っていきました。マネジャーの言いなりという感じですね。最終的には「セミヌード」から「泡ブラ」になりました。お風呂での撮影で、泡で胸とかを隠すやり方です。

 どんどん、過激になって、不信感は募る一方だったんですが、そんな中で、マネジャーへの不信感がピークになる出来事がありました。それはグラビアで「お尻」を出すことを巡ってのやりとりでのことになるんですが…。(つづく)

☆いしかわ・ゆみ=1987年1月1日生まれ。岐阜県出身。2004年、高校3年生のときにスカウトされて芸能界入り。グラビアアイドルとしてDVDを30本以上発売するなど人気を博す。その後、女優として活動。14年には映画「女の穴」で映画初主演。17年にブロガーのはあちゅう氏に触発され、自身が経験した芸能界セクハラ事情を実名で告発。日本での#MeToo運動を展開している。