コンビ結成45年の大御所漫才コンビ「オール阪神・巨人」は昨年、コンビとしては初となる楽曲「誠!! 浪花の晴れ姿」を配信した。45周年の記念に「喝采」「北酒場」で有名で、昨年暮れに亡くなった中村泰士氏に作ってもらったという。早くも紅白出場も口にする2人に楽曲への思いとともに、45年の芸能人生を振り返ってもらった。


【結成45年オール阪神・巨人インタビュー(2)】 

 ――昨年で芸能生活45周年を迎えた。若手のころを振り返って 

 巨人 関西の漫才が面白いってのはあんまり全国の人は知らんかったけど、B&Bさんが東京に行ったあたりから「関西の漫才は面白いんちゃうか」となって漫才ブームが来た。漫才ブームで頑張ったみんなは戦友で、いい仲間です。いい時代でしたね。

 ――ライバルは

 巨人 紳助・竜介やサブロー・シローとか、みんな仲間ですけどライバルで「ネタないねん」なんて煙幕張ったりしてましたね。紳助・竜介はちょっと形が違うのもありましたんで、僕はサブロー・シロー君にはライバル意識がありましたね。

 阪神 僕はあんまり気にしませんでしたけど、シロー君は同級生で同じクラスやったんで、多少ライバル意識もありました。子役からやってて器用やし、本気でかかってきたら負けるかなってのはあったけど、口には出しませんでしたね。

 ――紳助さん、明石家さんま、桂小枝ら同世代の芸人は大物ばかり

 巨人 紳助とは3日に1回くらい一緒でした。飲みに行ったりバイク乗ったり、仲が良かった。僕が家買った時も「俺も買う」言うて、3軒隣に買いましたからね。僕は30年ローンやったけど、紳助は10~15年くらいやないとダメって銀行に言われたらしい。(手持ちの)金がないからって言うてたけどホンマかな(笑い)。

 阪神 僕は昔、さんまさんと同じマンションに住んでましてね。縦に長いマンションでね。さんまさんが番組でバイク当たったらしいんですけど、免許がないから「バイクの乗り方教えてくれ。外で乗ったら捕まるやろ」言うて、マンションの廊下で教えてましたね。排気ガスで臭くてね。あの当時やから良かったけどね(笑い)。

 ――好きだった漫才師は

 巨人 夢路いとし・喜味こいし先生ですね。あの漫才はできません。漫才師って色のある人間同士が話すんですけど、いとしこいし先生って普通のおっちゃんでしょ? そやのに2人でしゃべったら面白い色を出す。光の三原色みたいな。あれが芸やと思うんです。何がビックリするって「飽きたから」言うて2人の漫才のセリフを入れ替えてしゃべるんです。そんなんでけへん。

 阪神 絶対無理ですわ。


 ☆おーるはんしん・きょじん アマチュア時代から知り合いだった南出繁(みなみで・しげる=オール巨人=1951年11月16日生まれ、大阪市出身)と高田昭憲(たかた・あきのり=オール阪神=1957年3月7日生まれ、大阪府泉大津市出身)が岡八郎に弟子入りし、1975年に結成。早くから頭角を現し、史上最多となる4度の上方漫才大賞受賞など各賞を総なめ。2019年には紫綬褒章を受章。上方漫才界のレジェンドとして現在も活躍している。