林家こん平さん 苦しいリハビリの励みにしていた「東京パラリンピック出場」の夢

2020年12月22日 11時30分

趣味の卓球に打ち込むこん平さん

 日本テレビ系「笑点」の解答者で知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男=かさい・みつお)さんが17日に誤嚥性肺炎のため亡くなっていた。77歳だった。21日に落語協会が発表した。難病の多発性硬化症を公表し、長年闘病を続けていたこん平さん。笑点で見せた豪快で明るいキャラクターそのままに、本気で東京パラリンピック出場を目指してリハビリに励んでいたが、その夢はかなわなかった。

 落語協会などによると、葬儀は近親者のみの密葬で19日に執り行われた。お別れの会は開催予定だが、コロナ禍という状況もあり、日時や会場は未定という。

 新潟県出身のこん平さんは中学卒業後に上京し、1958年に初代林家三平さんに入門。72年に29歳の若さで真打ちに昇進した。70年代には落語協会分裂騒動などが勃発したが、一門を統率。初代の預かり弟子の林家こぶ平(九代目正蔵)、林家しん平、林家たい平ら多くの弟子を育て上げ、一派をまとめ上げた。

 一方、日本テレビ系の人気演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとして約40年にわたって活躍。「1、2、3チャラ~ン」のあいさつで、お茶の間の人気者になった。

「笑点」開始以降、ほぼ無欠勤で出演し続けてきたが、2004年8月に声帯を患って入院し、同年9月5日の放送を最後に休業。05年7月に多発性硬化症と診断されたことを公表し、リハビリを続けていた。

 多発性硬化症に加え、13年には持病の糖尿病が悪化し、生死をさまよう。脳梗塞など晩年は病魔との闘いの連続だった。

 それでも、こん平さんは前向きで、闘病体験などを語る講演会を実施。昨年6月には20年東京パラリンピックの応援大使にも就任した。

 同年8月には小池百合子都知事とパラリンピックイベントに出席し、おなじみの「1、2、3チャラ~ン」にちなんでパラリンピックに向けた新ネタ「1、2、3パラ~ン」を披露した。

 厳しい闘病生活でも決してくじけなかったこん平さん。リハビリの励みにしていたのが、趣味である卓球での東京パラリンピック出場だった。

 盟友でもある三遊亭小遊三とともに「らくご卓球クラブ」を結成したほど、卓球が大好きだったこん平さん。病に倒れた後は周囲に「2つの大きな夢」を明かしていたという。

「夢の一つはもちろん、高座復帰で、一時は古典落語の『寿限無』をやろうと必死に練習していた。そして、もう一つの夢が東京パラリンピックへの出場。倒れてしばらくしてから、リハビリも兼ねて卓球に取り組んできた。『らくご卓球クラブ』の練習を週1回やるのを何より楽しみにしていたそうですが、一時期は本気で『出場を目指す』と口にしていた」(演芸関係者)

 現実的には厳しい状況だったが、苦しいリハビリを乗り越えるための目標になっていたという。

 何よりも東京五輪・パラリンピックの開催を楽しみにしていたこん平さんだが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大で来年に延期に。出場の夢はかなわなかったが、頑張る選手たちに「1、2、3パラ~ン」と応援大使として空から声をかけるに違いない。