落語家の林家たい平(56)が22日、朝の情報番組「スッキリ」(日本テレビ系)に出演。17日に誤嚥性肺炎のため亡くなった師匠の林家こん平さん(享年77)を偲んだ。

 こん平さんは2004年、「24時間テレビ」(同局)の生放送終了後に倒れ、翌年に原因不明の多発性硬化症と診断された。手足がまひし、落語家にとって生命線の声帯が機能しなくなる難病だ。

 たい平は当時40歳。「笑点」(同局)では、療養のために空席となった座布団を守り、代わりに師匠の十八番「チャラーン!」を連発して病床にメッセージを送り、復帰を待ち続けた。

「復帰への執念が凄くて、『必ず復帰して寄席の高座に上がる』とはっきりした言葉でおっしゃった。強い意志をお持ちでした」

 たい平がそう振り返るように、こん平さんは厳しいリハビリを経て、まひのあった右手で卓球のラケットを握れるまでに回復。「らくご卓球クラブ」監督で名誉5段の腕前を、再び公の場で披露した。

 16年には、たい平が〝因縁〟の24時間テレビでチャリティーランナーを務めた。こん平さんが復帰できるように願掛けし「師匠を勇気づけたくて走った」という。

 スタート地点には、車いす生活だったこん平さんが歩いて駆けつけ、弟子に「がんばれたい平 おれもまけない」とメッセージをしたためたタオルを渡した。たい平はそれを頭に巻き、100・5キロを完走。懸命に師弟愛を貫く姿に、日本中が感動に包まれた。

 こん平さんは18年、「都電落語会」に姿を見せた際、かなり「チャラーン!」の発声が良くなっており、順調な回復ぶりをうかがわせたが、ついに笑点復帰はかなわなかった。

 たい平は「一番最後にお会いしたのは、9月頭で『師匠、絶対負けちゃダメですよ』と言うと、手を挙げて『おおー』と答えてくださった」という。こん平さんはおおらかでありながら、新潟県人らしい粘り強さで15年間、病気と闘い続けた。そんな師匠をたい平は「とても強い人でした」と涙をこらえながら見送った。