【海原はるか・かなた芸歴50周年】伝説の〝一髪ギャグ〟誕生も「2枚目のつもりだった僕…複雑でしたよ」

2020年11月08日 06時15分

左から海原かなた、海原はるか

 フ~ッと息を吹きかけると髪の毛がハラリ――の一発芸でおなじみのベテラン漫才コンビ海原はるか・かなたが、芸歴50周年を迎えた。11月8日には「芸歴50周年記念公演(DAIHATSU心斎橋角座)を同じく50周年の酒井くにお・とおるとともに開催。大きな区切りを迎えた海原はるか・かなたが、これまでの芸能人生を振り返った。


 ――はるかの髪に息を吹きかける芸が有名

 かなた 注目を浴びたのは2000年ごろですけど、1990年代の最初、40歳くらいのころにあのギャグができました。

 はるか 劇場の楽屋で横山たかし・ひろしさん、酒井くにお・とおるさんとおってね。僕は(髪が)抜け出してるのをみんなに知られるのがイヤで、お風呂場に鍵かけてセットしてたんです。たかしさんは楽屋話のネタで盛り上げるのがうまいけど、僕は苦手。でも、盛り上げんとバツが悪いから、隠してたやつをオールバックにして、戦国時代の落ち武者みたいにしてさらけ出した。そしたら爆笑になってね。相方はそれを見て感じるものがあったみたいです。

 かなた 当時、ドライヤーの貸し借りでケンカするネタをやってまして、舞台で「ドライヤーなんかいらんがな!」って吹いたのが最初なんです。

 ――髪のネタでウケたのは複雑だった

 かなた 2回目に舞台で吹こうとしたときは、ちょっと避けてたとこもありましたから、複雑やったんちゃうかな。

 はるか 芸人なんて気持ちは2枚目ですから複雑でしたよ。さらけ出してる姿見て、かっこええとは思いませんでしたし。

 かなた だから、インパクトはあるけど、やるやらへんはお前に任せると言うたんです。

 はるか 反応も良かったんで、だんだん気持ちもハイになってきたといいますか。

 ――つかみ効果抜群

 かなた 無名の時は「コイツら、おもろいで」って分かってもらうために、マクラっていうのは大事ですから。一般の方から「毛吹くだけやん」と言われることもあるけど、一生懸命没頭してるから突き当たる。「笑いって何や」って今でも模索してますし、簡単にいくなら苦労しませんから。

 ――逆にそれまでは不遇の時代だった。苦労は

 かなた 苦労はなかったですね。みんなええ方で営業的には潤ってたし、ええ時代でした。でもね、僕らはよく分かるけど、世に名前と顔が出ないと上から目線で見られる。東京で売れた人が「これでやっと飯食えるようになった」って言いますけど、それは言わんといたってほしい。食えてない人は傷つくし、精神的にキツイ。

 はるか 僕らはテレビに出たいともあんまり思わなかった。僕らアルバイトもしたことないんです。今の若い芸人って、石投げたらバイトしてる子に当たるって感じですから、今の子は大変ですよね。


【プロフィル】
☆うなばらはるか・かなた 1968年、俳優養成所の「明蝶芸術学院」に4期生として入所。70年に海原お浜・小浜に弟子入り、コンビを組む。2000年、上方漫才大賞奨励賞受賞。

☆うなばら・はるか 1948年5月6日生まれ。熊本県熊本市出身。ボケ担当。趣味はスポーツ。

☆うなばら・かなた 1948年5月6日生まれ。奈良県天理市出身。ツッコミ担当。趣味は映画鑑賞・パチンコ・車の整備。