武田鉄矢が明かす 共演した美空ひばりさんから〝逃走〟の過去

2020年10月19日 14時00分

番組300回記念で花束を渡され喜ぶ武田。左は番組を卒業する須黒清華アナ

 金八先生は昭和の大スター・美空ひばりさん(享年52)から逃げ出していた!? 俳優・歌手として知られる武田鉄矢(71)が司会を務めるBSテレ東の情報番組「武田鉄矢の昭和は輝いていた」(金曜午後8時)が23日の放送をもって通算300回を迎える(同日は午後7時から)。本紙の取材に応じた“昭和の語り部”武田は「昭和を代表するスターといえば、やはり美空さんです。実は…」と美空さんとの(秘)エピソードを明かした。

 同番組は2013年4月にスタート。昭和の歌手、人物、作詞家作曲家、世相、メディアなどを掘り下げる情報番組だ。そこで自身も昭和の奥深さを学ぶ武田は「昭和といえば、やはり美空さん」と断言。誰もが納得する戦後昭和の芸能界を代表するスターだろう。

 初対面は武田にとってこの上ない光栄な出来事だった。

「美空さんからのご指名だったんですよ。『海援隊』が解散した年の1982年だったかな。他局の歌番組で、若手と共演するということで指名されたのが郷ひろみさんと僕たち(海援隊)。面白いでしょう。女王(美空さん)をスタジオにお迎えするという形だった」と武田。

 スタジオは緊張感で張りつめた。「バンドマンも緊張感でいっぱい。指揮者の服部(克久)さんもガチガチでした。いつもは愉快な“棒振りおじさん”だったのに…」

 武田はその昼食休憩時に“脱走”したという。テレビ局での収録時の食事といえば、食堂かロケ弁が当時も一般的だったが「美空さんがスタジオに職人さんを呼んで食事を作るので『ご一緒しませんか?』とお声が掛かったんです」(武田)。

 ところが、武田は「もう息が詰まっちゃって、逃げ出したんです。外に出たことにしてもらって、近くのラーメン屋で食べて戻ったんですよ」。

 なぜ、武田はせっかくの機会なのに逃げたのか? 当時、週刊誌では「美空バッシング」が過熱していた時期だった。

「いつも威張っているとか、高い金を取るとか、お客が変な声を出したら歌わずに帰るとか“美空ひばり傲慢列伝”があったんです」と、最初は武田も美空さんに対して、構えていた。だが、共演し、その報道が違うことに気づいたという。

「共演して一曲一曲にかける歌への情熱を知ったんです。僕とのデュエットから、美空さんが『リンゴ追分』をソロで歌う演出だったんですが、服部さんがガチガチで、少しだけテンポが速くなった。それで『これだとひばりの歌にならない』と納得いくまで歌い直しされた。恐ろしかったのを覚えてますね。命がけで歌っているんだと。別格ですよ」(武田)

 バッシング報道は違うと感じたが、逆に武田は「昭和を肩に背負っているというか、戦後を生き抜いてきたすごさを感じた。もう(こちらは)“おびえ”です」とそのすごみを肌身で感じ、距離は縮まるどころか、遠いままだったという。

 美空さんがジャンルの違うフォークグループ「海援隊」を指名したことには「次の歌を探してらしたんでしょうね。我々の作る歌の中に自分が歌える歌があるんじゃないかと。やっぱり貪欲なんですよね」と武田は推測した。

 300回を迎える番組についても「美空さんのほかにも語り継ぎたい昭和がありますので、ぜひ番組をご覧ください」とPR。美空さんが武田に見せた“昭和のスピリット”から学ぶところもまだまだ多いはずだ。