16日、朝の情報番組「とくダネ!」(フジテレビ系)は、先月28日に急性心不全で亡くなったタレント・岸部四郎さん(享年71)の話題を取り上げ、司会の小倉智昭(73)は「一時代の顔になった人。惜しいです」と追悼した。

 岸部さんは兄の一徳(73)とともに、伝説のグループ・サウンズ「ザ・タイガース」に在籍。解散後はドラマ「西遊記」(1978年、日本テレビ系)で沙悟浄役を好演。84年から98年まで朝の情報番組「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)で、13年半も司会を務め、巨額借金が原因で降板した。

「とくダネ!」は99年、長らく続いた「おはよう!ナイスデイ」の後を受けてスタート。当初は「ルックルック」や故岡江久美子さん(享年63)の「はなまるマーケット」(TBS系)の後塵を拝していたが、小倉の頑張りなどで1位に躍進。長らくトップの座を維持してきた。

 そんな事情もあり、ライバル局の司会者だった岸部さんには特別な思いがあるようだ。小倉は「岸部さんから松永二三男さん(69)に司会が代わってから、とくダネが始まった。ルックルックは『女ののど自慢』とか、名物コーナーがあって強い番組だった。面白かった」と印象を語った。

 だが、司会を降板した岸部さんは自己破産し、売れっ子から瞬く間に転落。脳梗塞、パーキンソン病を患って闘病生活を送る一方、14歳下の愛妻を心臓発作で失うなど、不幸のデパート状態となってしまった。

 売れっ子として2億円ともいわれる収入がありながら、骨董収集、会社経営にのめり込み、連帯保証人となったことなどで、5億円超の借金を抱えた。転落後は、バラエティー番組で落とし穴に落とされるなど〝いじられキャラ〟に徹し、笑いを誘って糊口をしのいだ。

 来春での〝勇退〟既定路線の小倉は、テレビ東京のアナウンサーからフリーに転身した頃、仕事に恵まれず貧乏生活を送った経験があり、売れっ子になってからは副業でリスク分散している。それだけに、岸部さんの気持ちが人一倍わかるのだろう。

「ルックルックが高視聴率で、頑張るとギャラも上がって、欲しい物をありったけ買う気持ちもわからないではない。でも、それが後に借金になると、仕事も細々としてくる悪循環になって大変だったはず。岸部さんがテレビ番組で借金の話をするのを見るのがつらかった。同じ業界にいて」。小倉は天竺へと旅立った岸部さんを思いやった。