田原俊彦が語り尽くした!「ジャニーさんは第2の親父」

2020年09月15日 17時15分

デビューから41年目でも元気いっぱいのトシちゃん

 歌手・田原俊彦(59)の独占インタビューを2回にわたってお届けする。前編では現在行われている全国ツアーへの熱い思いを激白。妥協を許さないステージの裏には、昨年この世を去った第2の父・ジャニー喜多川さんの教えがあった。新型コロナウイルスの影響もあって全公演赤字必至だが「待ってくれているファンのために最高のパフォーマンスを届けたい」とトシちゃんは“びんびん”に燃えている。

――11日の神奈川・厚木からコンサートツアーがスタートした

 田原 デビュー41年目の今年は新曲「愛は愛で愛だ」を準備して、ツアーに向けて準備万端だったんだけどコロナ禍で10公演ぐらい来年に延期になってしまった。それでも16日の名古屋(日本特殊陶業市民会館フォレストホール)など7か所はやろうと決断しました。

 ――会場では徹底した感染予防対策がとられる

 田原 政府のガイドラインに基づいて会場収容人数の50%以内の定員、お客さんにもマスクをしてもらい、声を出しての応援はできない。2000人の会場なら1000人という形で。はっきりいって全部赤字ですね。

 ――全公演ですか

 田原 コンサートってそんなにお金が残る仕事ではないんですよ。しかも密になってしまうのでグッズの販売もできない。うちのチームはバンド、ダンサー、照明さん、音響さんなど総勢35人くらいいるんです。35人で地方に行くとそれだけで100万、200万はかかっちゃう。でもね、こういう状況の中でも足を運んでくれるお客さんに対しては本当に感謝の気持ちでいっぱいなんです。だからこそ満足していただけるものを届けたいと強く感じています。

 ――規模の縮小、例えば生バンドではなくカラオケにしたりすることは考えなかったのですか

 田原 それをやるんだったら最初からやらないですよ。やっぱり生のね、グルーヴ感。生バンドの音でダンサーが汗をかいて踊って、僕も一緒に生で全部歌う。40年毎年そのスタイルでやっているのでそれだけは変えたくない。赤字になってもそこはみんなが待っていてくれるので頑張ろうかなって思います。

 ――ステージをつくるうえでジャニー喜多川さんから受けた影響は

 田原 ありますね。僕は18歳から会社(ジャニーズ事務所)に所属したけど、あのころはちょうどサザン(オールスターズ)、ゴダイゴ、ツイストとニューミュージックが音楽界を席巻していた。そんな中で僕と近藤(真彦)君、野村(義男)君の「たのきんトリオ」からジャニーズが改めてスタートしていったというかね。女の子だと松田聖子ちゃん。あのころからジ・アイドルという時代が始まって今につながっていると思う。デビューから「抱きしめてTONIGHT」ぐらいまでの約10年、ジャニーさんが演出も衣装も構成もすべて考えていたんです。あの人がずっとプロデュースしてリハーサルも全部立ち会っていましたから。

 ――ジャニーさんとともにステージをつくってきた

 田原 そうですね。僕の一番元気でイキのいい時代ですし、ジャニー喜多川にとっても最も脂の乗っていた40代後半から60ぐらいまでの時代を一緒に生きていましたから。そういうものは僕の体の中に染み込んでいる。ショーをつくっているときに「ジャニーさんならこうするんだろうな」と考えることはありますね。

 ――ジャニーさんの教えで意識していることは

 田原 ショーというのは魅せてなんぼ。展開、特にスピーディーな展開ということは心掛けてますね。隙を見せない。僕はロックアーティストでもないし、フォークシンガーでもない。歌って踊って魅せるというスタイル。曲間とか衣装を着替えるタイミングとかそういうところはすごく意識付けされましたね。

 ――それだけに昨年ジャニーさんが亡くなられたのはショックだった

 田原 そうですね。ジャニーさんと初めてお会いしたのは15の夏でそれから「スターになるぞ」って二人三脚で始めた。自分の父親は僕が小学校1年生のときに亡くなっていたこともあって、第2の親父と心の中で思っているので。(お墓参りには)まだ行けていないので落ち着いたらお線香を上げに行かなきゃと思っています。【続く】

☆たはら・としひこ 1961年2月28日生まれ。山梨県出身。高校卒業後の18歳の時に上京し、ジャニーズ事務所所属。80年に「哀愁でいと」で歌手デビューし、一躍トップアイドルに。「教師びんびん物語」(フジテレビ系)など俳優としても多くの作品に出演。94年にジャニーズから独立。「トシちゃん」の愛称で今も最前線で活躍している。