1989年に亡くなった大スター、美空ひばりさん(享年52)の最後を支えるなど数々の歌手のヒット作に携わってきたプロデューサーの境弘邦氏(83)が本紙のインタビューに応じ、生涯最後のシングルとなった不朽の名作「川の流れのように」の誕生秘話を告白した。

 ひばりさんにとって生涯最後のシングルになったのは「川の流れのように」。作詞・秋元康氏、作曲・見岳章氏で1989年1月11日に発売された。

 亡くなる前年の88年。境氏は体調が悪くなったひばりさんから「ステージに立って客席を見ていたら30代の若い層が一番自分から遠い存在だと。そこに向かって企画を立てたい」と言われた。

 そこで白羽の矢が立ったのが「おニャン子クラブ」のプロデューサーとして名を上げていた秋元氏だ。「秋元先生がひばりさんに作品を提供したいと言っています」という話を聞いた境氏が交渉に出向き、快諾を得た。

 アルバムの作詞、プロデュースを全て秋元氏に任せ、出来上がった全10曲の中でギリギリまでシングルカット候補だったのが「ハハハ」だ。30代に届かせたいというコンセプト通り、ポップな曲調が好評で、ひばりさんも「この歌、面白いね。私にない歌だね」と了承していた。

 ところが最後の最後に「川の流れ――」をレコーディングした後、ひばりさんの態度が変わった。

「『ハハハ』も面白いけど、今日とった『川の流れ――』をどう思う?と。いろいろ話をして、いつもとちょっと違うなと思ったのは、なかなか簡単に話が終わらないんです。川について、雨が降るところからせせらぎになって海に流れるところまで延々と説明するんです。あっちの岩にぶつかり、こっちの岩にぶつかりしながらだんだん大きな川になって流れていくんだと。これは自分の歌手生活を完全にダブらせているなと。それがよくのみ込めたので、これをシングルにしましょうと決めたんです」

 10年以上の付き合いの中で、初めてひばりさんからシングル盤についての希望を言われたのだという。

「川の流れ――」の収録が、ひばりさんの最後のレコーディングとなった。境氏は「その時、これがラストソングだと分かってたんだと思います。ひばりさんは自分の幕引き、緞帳の下ろし方を知ってたんじゃないかなと今でも思っています」と振り返った。

 ☆さかい・ひろくに 1937年3月21日生まれ。熊本県出身。59年、日本コロムビア入社。78年から89年までひばりさんの総合プロデューサーとして活躍。他にも島倉さん、都はるみ、石川さゆりら、多くの歌手の作品に関わり、ミリオンヒットを連発した。92年に独立し、長山洋子らの制作を担当している。